この記事では、2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第48話(2022年12月18日放送)のあらすじをわかりやすく解説します。
ネタバレを含みますのでご注意くださいね。
【鎌倉殿の13人】第48話(最終回)のネタバレとあらすじを解説
さあ、いよいよ最終回となりましたね。
第47話では、後鳥羽上皇が義時追討の命令を鎌倉の御家人たちに出しますが、政子の演説により、後鳥羽上皇と戦うことを決めましたね。
最終回ではどんな義時の最期となるのでしょうか?
さっそくみていきましょう。
承久の乱
後鳥羽上皇は日本中に義時追討を命令。
鎌倉は徹底抗戦を決意し、鎌倉で迎え撃つのではなく、京へ出撃する戦略を選びました。
鎌倉郡の総大将は北条泰時。
「鎌倉の命運、お前に託した」
承久3年(1221年)5月22日、泰時は先陣として17人の兵とともに今日へ出発しましたが、
途中で、周辺の御家人たちが、北条の覚悟に心を打たれ、次々と軍勢に加わります。
京へ進軍するころには、なんと総勢19万もの兵を率いることに。
一方、後鳥羽上皇の近臣である藤原秀康は、1万の軍勢で出陣。
鎌倉の軍を都に入れぬように、宇治川で迎え撃ちますが、泰時の作戦と兵力の差により敗北。
結果、北条率いる鎌倉軍が勝利をおさめます。
義時は、勝利に安堵しますが、その結果朝廷を裁くとういう重責を担うことになります。
「私が次の帝を決めるか、この私が」
義時は大江広元と相談。
後鳥羽上皇は隠岐島に、直系の皇族たちも至る場所へ流罪としました。
そして、直孫である天皇は退位させ、後鳥羽上皇の甥を天皇にします。
また、泰時と時房は六波羅探題として京にとどめおき、京の動きや様々な問題の対応につとめさせました。
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承久の乱の後の鎌倉
承久の乱から3年後の貞応3年(1224年)6月。
義時は久々に京から鎌倉へ戻った泰時や時房と語り合っていました。
「上皇様の件はあれでよかったのでしょうか?」と泰時。
義時:「あれでよかったのだ」「上皇様を隠岐に流した大悪人は私だ。案ずるな」
時房と泰時は、京でりくにあったことを語ります。
りくは相変わらずだったと、そんな話をしていると、義時が、不意に目がくらんで倒れてしまいます。
義時:「ちょっとめまいがしただけだ」
このときは大事には至りませんでしたが、妻・のえがいつもの薬草を煎じた飲み物を勧めます。
義時「これを飲むようになってから具合が悪くなった気がする」
義時はその薬草を煎じたものをしぶしぶ飲みます。
さて、戦の恩賞として、東国の御家人たちには、西国の所領が与えられることなります。
しかし、慣習の違いもあり、西国の人々が不満を募らせ、先の天皇を担ぎ出そうという怪しい動きもありました。
そんな状況を危惧して、泰時は、
「東国と西国を問わず誰もが従うべき浩平な決まりが必要だ」
と考え、御家人たちが守るべき定めを書き始めました。
時房がとてもいい考えだと同意します。
時房:「とてもいい!今新しい世の中が来る音がした!」
泰時:「父上が死にもの狂いでやってきたことを無駄にしたくないだけです」
これがのちの「御成敗式目」の制定へとつながります。
私に似せた仏像
以前、義時が運慶に作らせた「私に似せた仏像」が完成しました。
それは、阿弥陀如来の胴に邪気の顔がついた像であり、これを見て義時が起こります。
義時「さんざん待たせたあげくこれはなんだ?」
運慶:「今のお前にうりふたつよ」
「斬りたきゃ斬ればよい、どの道、お前は引き返すことはできん、ハハハハハ…」
運慶は捕らえられ、連れていかれます。
義時は刀を出し、像を斬ろうとしたところ、まためまいがして倒れこんでしまいます。
医師に尋ねると、「毒を盛られた」と言われます。
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のえとの別れ
義時はのえに、「お前が毒を盛ったのだろう」と言及しました。
「あ、ばれちゃった」と、のえはあっさり認めます。
義時:「もっと早くお前の本性を見抜くべきだった」
のえ:「あなたには無理、私のことなど少しも見ていなかったから。だからこんなことになったのよ」
義時:「執権が妻に毒を盛られたとあれば、威信に傷がつく。離縁はせぬ。だが二度と私の前に現れるな」
息子が跡を継げないならここにいる甲斐はないと、のえは立ち去ります。
その去り際に、「毒を用意したのは平六(三浦義村)殿だ」と伝えていきました。
三浦義村が見舞いに
小康状態となった義時のところに三浦義村が見舞いにきます。
これまで、義村は盟友で、食えない幼馴染でもありました。
義時は、のえの薬を義村に勧めますが、義村は遠慮しておくといって断ります。
義時は義村に「また裏切るつもりだったのだな」と言います。
飲めない理由があるのか?と問い詰められ、義村は仕方なく、頂こうといって薬を飲みます。
義時:「俺が死んで、執権にでもなろうと思ったか?」
義村:「まあそんなところだ」
義時:「お前には務まらぬ」
義村:「お前にできることが俺にできないわけがない!」
すべてにおいて、俺に劣っていたお前が執権になれたのに、なぜ、私がただの御家人で終わるのか
と義村は本音をぶちまけます。
義時は、さっきの薬をただの酒だと打ち明けました。
義時は義村に今後、泰時への力添えを願います。
「これから先も三浦が支える」
と言って笑う義村でした。
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義時の最期
鎌倉では穏やかな日々が続きます。
トウは子供たちに武術を教え、泰時も御成敗式目を完成させ、妻に褒められます。
いよいよ、義時の体調が悪くなり、政子も見舞いに来ます。
政子は運慶の作った像をみて、考え込みます。
先の人たちは、私たちのことをどう思うのかと…。
「あなたは上皇様を島流しにした大悪人。私は身内を追いやって尼将軍に上り詰めた希代の悪女」
頼朝から鎌倉を受け継ぎ、ともになんとか鎌倉を守ってきた義時と政子。
次の代へとつなぎ、これからは争いのない世の中が来ることを願って。
「どう思われようと気にしない」という政子に「姉上は、大したお人だ」と義時は感心します。
「それにしても血が流れ過ぎました」
これまで、命を落としてきた人について義時は振り返ります。
「梶原殿、全成殿、比企殿、仁田殿、頼家様、畠山重忠、稲毛殿、平賀殿、和田殿、仲章殿、実朝様、公暁殿、時元殿、
これだけで、13... 」
「そりゃ、顔も変わります。」
政子は、その中に頼家の名があることにハッとします。
「なぜそこに頼家の名があるの?あの子は病気で死んだのではなかったの?」
義時は、本当のことを政子に伝えます。
「私が善治に命じて討ち取らせました。」
政子:「ありがとう、教えてくれて」
義時は苦しくなり、ちょっと離れたところにある薬をとってほしいと政子に伝えます。
そして、「まだやることがある。上皇様の血をひく帝を何とかしなければならない」
という義時に、政子はまだ手を汚すつもりか?と問います。
「この世の怒りと呪いをすべて抱えて、私は地獄へもっていく。太郎のためです」
「私の名が汚れる分だけ、泰時の名が輝く」
政子:「そんなことをしなくても、太郎は新しい世の中を作ってくれます、私たちは長く生き過ぎたのかもしれない」
政子は薬を義時に渡さずに、その場にたらしました。
「姉上…? 私はまだ死ねん!」
床を這いつくばって、薬を何とか口にしようとする義時ですが、
政子は薬をぬぐって、義時が薬を飲もうとするのを阻止します。
身体をよじらせる義時。
政子:「泰時を信じましょう。賢い八重さんの息子」
義時:「確かにあれを見ていると八重を思い出すことが…」
政子:「でもね、もっと似ている人がいます。…あなたよ」
義時は、震える手を伸ばし、「姉上…、あれを太郎に…」
と部屋の奥を指さします。
政子はそこへ向かい小さな木箱を取り出しました。中には、観音像がありました。
政子:「必ず渡します」
身体から力が抜けていく義時。
政子:「ご苦労様でした、小四郎」
義時はじっと政子を見つめ、息を引き取りました。
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【鎌倉殿の13人】第48話(最終回)の解説と感想
いよいよ、クライマックス。承久の乱と義時の最期が描かれました。
承久の乱
承久の乱では一説では義時軍19万、上皇軍2万数千という勢力比で、義時の軍が圧勝との話も。
しかし、吾妻鏡や承久記によると、義時軍も意外と苦戦したという記録もあるようです。
勝敗を決したのは、軍勢の差だけでなく義時軍の「先手速攻」の戦略も大きかったようですね。
さて、後鳥羽上皇が流罪になりますが、これはとても異例なこと。
初めて武士が上皇を島流しにした珍しい出来事です。とはいえ、義時は、天皇がトップに座る国家体制を変えようとはしませんでした。
あくまで実質的な権力を幕府が握るという体制にしたのですね。
義時の死因は?
吾妻鏡によると、義時は1224年6月12日の朝に重病となり、快復に向かうと言われつつも翌日の13日に息を引き取ります。
62歳でした。
元々脚気を患っており、さらに暑さで体調を崩したのが原因とのこと。
死期が近づいていることを悟った義時は、念仏を唱え続けたといわれています。
一方で、義時の後妻・のえに毒殺されたという説もありますよね。
今回の大河ドラマでも、のえが薬草を煎じたものを飲むという場面が描かれました。
今回の大河ドラマでは、義時の死因のきっかけを作ったのは、のえが毒をもったことではありましたが、
最期は、政子が薬を義時に渡さなかったことが直接の死因となりました。
今でいう未必の故意による殺人ということになるのでしょうか?
政子は義時を見舞いにきたとき、
- 義時に似せた像を見てまずショックを受ける。
- そして、我が息子、頼家も殺されたことを知る。
- 最後に、まだ義時が自分の手を汚そうとしていることを知る。
この三大ショックにより、義時に薬を渡すことができませんでした。
鎌倉が穏やかになった今、泰時という立派な跡継ぎが頼れる今、
これ以上、義時に地獄へ近づけさせたくなかったのでしょう。
最初は、頼家を殺されたことを知り、もしかしたら義時への復讐・殺意も芽生えたのかもしれません。
しかし、この期に及んで政子は私的な感情により突発的に弟を殺したりしません。
もう、十分すぎるほど、鎌倉に尽くした。わが手を血まみれにしても。そして、まだやろうとしている。
そんな義時に誰かが歯止めをかけなければならなかった。
そして、政子はそれが自分の役割だと悟ったということだと思います。
とても悲しかったけれど、義時の最期を彩るのが政子でよかったし、そうであるべきだったと言わざるを得ません。
闇落ちしていく義時は、哀れだったけれど、立派だったし、それは必然でした。
義村のように、変わらない友人もいたけれど…。
あーでも、のえさんもかわいそうだったな、なんとなく。
興味を持ってもらえないことほど、つらいことはないんですよね。
1年間楽しませていただきました。
小四郎、ご苦労さまでした。
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鎌倉殿の13人|ネタバレとあらすじ
・第42話「夢のゆくえ」
・第43話「資格と死角」
・第44話「審判の日」
・第45話「八幡宮の階段」
・第46話「将軍になった女」
・第47話「ある朝敵、ある演説」