朝ドラ『ブラッサム』のモデル・宇野千代。
波乱に満ちたその人生の背景には、いったいどんな家系があったのでしょうか。
この記事では、
- 宇野千代の生家・宇野家のルーツ
- 宇野千代の両親・兄弟
- 宇野千代の子孫の現在
宇野千代の家系図|生家「宇野酒造」とは
まずは、宇野千代が生まれ育った家系から見ていきましょう。
酒造業を営んだ宇野家
宇野千代の生家について、まずは基本情報から見ていきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1897年11月28日 |
| 出身地 | 山口県玖珂郡横山村(現・岩国市川西町) |
| 実家 | 酒造業「宇野酒造」(地元の分限者) |
| 建物 | 明治時代築、1974年に宇野千代自身が修復 |
生まれ育った生家は、今も山口県岩国市川西に残っています。
約300坪もある敷地には、宇野千代が好んだモミジがたくさん植えられています。
2007年には国の登録有形文化財に指定され、現在は「NPO法人宇野千代生家」の手で大切に公開が続けられています。
戦国時代までさかのぼる家系
宇野家は、代々酒造業を営んできた旧家です。
その由来は、なんと戦国時代までさかのぼります。
宇野千代は随筆『残っている話』の中で、自らのルーツについてこう記しています。
私の家、宇野の家の祖先は、玖珂の鞍掛山の城主、杉隆泰の家老である。名前は、宇野筑後守正常と言う。
鞍掛城の城主・杉隆泰は、毛利軍7000の攻撃をわずか1300余の兵で迎え撃ちました。
多勢に無勢で落城し、城主とともに家臣が討死したと伝えられています。
宇野千代の家系は、そんな戦国の武家に連なるルーツを持っているのです。
宇野千代の家族構成|両親と兄弟
続いて、宇野千代の両親と兄弟について見ていきましょう。
父・俊次と実母・土井トモ
宇野千代の父は、宇野本家の次男にあたる俊次です。
実母は土井トモ。
ただ、宇野千代がまだ1歳半のときに、肺結核で亡くなっています。
継母・佐伯リュウと兄弟たち
実母が亡くなった翌年、1900年に父・俊次はわずか12歳差の娘・佐伯リュウと再婚しました。
宇野千代はリュウを実の母のように慕い、生涯を通じて大切にしていたそうです。
この継母・リュウ、実は宇野千代の代表作「おはん」に登場する女性のモデルになったともいわれています。
作家・宇野千代の人生にとっても、かけがえのない存在だったことがうかがえますね。
宇野千代の兄弟姉妹は、次のとおりです。
- 弟:薫(かおる)
- 弟:鴻(ひろし)
- 弟:光雄(みつお)
- 弟:文雄(ふみお)
- 妹:勝子(かつこ)
異母の兄弟を含め、宇野千代は生涯を通じて強い絆で結ばれていたそうです。
宇野千代の子孫の現在は?
宇野千代には、実子がいません。
東郷青児との同棲期間を含めても、生涯で子供を授かることはありませんでした。
つまり、血のつながった子孫は存在しないということになります。
それでも宇野千代は、次の4人を「我が子同然」に思い、家族のように接していました。
- 藤江淳子(ふじえ あつこ)
- 東郷志馬(とうごう しま)
- 東郷たまみ
- 北原ミキ
くわしくは、宇野千代の子供についてまとめた別記事もあわせてチェックしてみてください。
血のつながった子孫はいなくても、宇野千代が育った生家は、今もNPO法人の手で大切に保存・公開されています。
宇野千代自身の手で修復された建物や庭は、今も多くの人がその面影をしのぶ場所として受け継がれているのです。
まとめ
以上、宇野千代の家系図についてご紹介しました。
酒造業を営む旧家に生まれ、継母や兄弟との絆を大切にしながら生きた宇野千代。
血のつながった子孫はいなくても、多くの人と家族のような関係を築いていったその生き方は、朝ドラ「ブラッサム」を楽しむうえでもぜひ注目したいポイントです。
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