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ブラッサム

宇野千代の男性遍歴|モテる美人だった若い頃から4人の夫まで

朝ドラ『ブラッサム』のモデル・宇野千代。

生涯で4度の結婚を経験した宇野千代の恋愛遍歴は、若い頃からとにかく波乱に満ちていました。

この記事では、

  • 宇野千代の若い頃のモテエピソード
  • 宇野千代の夫・恋人たち
  • 朝ドラ『ブラッサム』との関係
についてご紹介します。

宇野千代の男性遍歴|若い頃からモテた美人作家

まずは、宇野千代の恋愛遍歴の原点となった若い頃のエピソードから見ていきましょう。

宇野千代は美しく利発な女性として知られており、10代の頃から縁談が絶えなかったそうです。

14歳での最初の結婚をきっかけに、その後も宇野千代のもとには次々と男性が現れ、生涯でなんと4度の結婚と複数の恋愛を重ねることになりました。

ここからは、宇野千代が結婚・同棲した相手について、一人ひとりくわしく見ていきましょう。

宇野千代の夫・恋人たち

続いて、宇野千代が結婚・同棲した相手について、それぞれ見ていきます。

まずは相手・関係・期間を一覧で見てみましょう。

相手 関係 時期
藤村亮一さん 見合い結婚 14歳・約10日間
藤村忠さん 結婚 1916年〜1924年(1919年正式結婚・1924年離婚)
尾崎士郎さん 結婚 1922年〜1930年(離婚)
東郷青児さん 同棲 1930年〜1934年ごろ
北原武夫さん 結婚 1939年〜1964年(離婚)

1人目の夫・藤村亮一

宇野千代は14歳という若さで、見合いによって従兄の藤村亮一さんと結婚しました。

余命わずかだった父・俊次さんが「目の黒いうちに」と段取りした結婚だったといわれています。

ところが宇野千代にとって、藤村亮一さんは

「話の合わない、得体の知れない大人の男性」

に感じられたようです。

結局、結婚生活はわずか10日ほどで終わり、宇野千代は実家に戻ることになりました。

2人目の夫・藤村忠

実は、宇野千代が本当に心を寄せていたのは、藤村亮一さんの弟である藤村忠さんだったといわれています。

1916年、当時京都の第三高等学校に通っていた藤村忠さんを頼り、宇野千代は京都で同棲生活を始めました。

翌1917年、忠さんが東京帝国大学へ進学したのにともなって2人で上京し、1919年には正式に結婚して藤村姓を名乗るようになります。

その後、忠さんの大学卒業を機に北海道へ移り住み、この北海道での暮らしのなかで応募した懸賞小説が、のちの作家デビューへとつながりました。

しかし1924年、2人は協議離婚しています。

3人目の夫・尾崎士郎

1921年、懸賞小説で入選して作家デビューを果たした宇野千代は、東京へ上京します。

同じ懸賞小説で二等に入選していたのが、尾崎士郎さんでした。

 

受賞の翌年、中央公論社でたまたま顔を合わせた2人。

宇野千代のひと目惚れがきっかけで、なんとその日のうちに同棲を始めたと伝えられています。

 

尾崎士郎さんは、新聞連載小説「人生劇場」で知られる作家です。

2人が移り住んだ東京・馬込には、その後尾崎士郎さん・宇野千代さん夫妻を中心に、芥川龍之介さんや室生犀星さん、萩原朔太郎さんなど百人近い作家・芸術家が集まり、「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。

1933年から連載が始まった「青春篇」をはじめとする大河小説で、川端康成さんも絶賛するベストセラー作家になりました。

宇野千代さんとは同棲を経て正式に結婚しましたが、2人の結婚生活は1930年、離婚というかたちで幕を閉じることになります。

梶井基次郎との関係

作家の梶井基次郎さんも、宇野千代に想いを寄せていたひとりです。

1927年、伊豆・湯ヶ島温泉で出会った2人。

夫の尾崎士郎さんが東京に戻ったあとも、梶井基次郎さんは毎晩のように宇野千代のもとを訪れ、やがてその噂は東京にまで広まったといわれています。

ただし梶井基次郎さんは内気な性格だったこともあり、その想いは一方通行のままだったようです。

代表作「檸檬」で知られる梶井基次郎さんですが、1932年、31歳という若さで結核のため亡くなっています。

東郷青児との同居生活

東郷青児さんは1897年、鹿児島生まれの洋画家です。

1916年の二科展で二科賞を受賞して画壇に登場すると、フランス留学を経て、独特の甘い女性像を描く「美人画家」として一世を風靡しました。

1961年には二科会の会長も務めています。

1930年、33歳になった宇野千代は、この東郷青児さんと出会い、同居生活を始めます。

代表作のひとつ「色ざんげ」は、東郷青児さんから聞いた恋愛遍歴をもとに書かれた作品だといわれています。

4人目の夫・北原武夫

北原武夫さんは、神奈川県小田原市生まれの作家です。

慶應義塾大学を卒業後、新聞記者を経て作家デビューし、1936年には宇野千代さんとともに日本初のファッション雑誌「スタイル」を創刊しました。

1939年、42歳になった宇野千代は北原武夫さんと結婚します。

この結婚は、作家の吉屋信子さんと画家の藤田嗣治さんの媒酌によるものでした。

25年におよぶ結婚生活を経て、1964年、67歳になった宇野千代は、北原武夫さんからの申し出で離婚しています。

まとめ

以上、宇野千代の男性遍歴についてご紹介しました。

14歳での結婚から、複数の著名な文化人との恋愛・結婚まで、宇野千代の人生はまさに男性遍歴そのものといっても過言ではありません。

その情熱的な生き方は、朝ドラ「ブラッサム」を楽しむうえでも、ぜひ注目したいポイントです。

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