NHK朝ドラ『風、薫る』で、主人公・一ノ瀬りんが新潟で「舎監」の仕事に就く場面が描かれます。
聞き慣れない言葉に、疑問を持った人も多いはず。
この記事では、
- 舎監の意味や具体的な仕事内容
- 舎監の手当や資格の有無
- りんのモデル大関和さんと新潟の史実
舎監ってどんな仕事?
まずは「舎監」という言葉そのものから見ていきましょう。
舎監の意味は?
舎監とは、寄宿舎(寮)に住む生徒や学生の生活指導・監督を行う人のことです。
「寮監」と呼ばれることもあります。
学校の寮に住み込み、生徒たちの暮らしを見守る立場です。
具体的に何をするの?
舎監の主な仕事は、生徒の健康観察と、寮内で起こるさまざまなトラブルへの対応です。
門限の管理や生活指導を行うのはもちろん、夜間に体調を崩した生徒がいれば対応にあたります。
勤務時間も特徴的です。
夕方から翌朝まで、寮に住み込みで続くことが多いのです。
特別支援学校にもいるの?
舎監という仕事は、現代の特別支援学校にも存在します。
学校教育法施行規則では、寄宿舎を設ける特別支援学校に舎監を置くことが定められています。
指導教諭または教諭が兼務するのが基本の形です。
一方、寄宿舎での日々の生活支援を担うのは、舎監とは別に置かれる「寄宿舎指導員」という職種です。
北海道教育委員会の例では、
- 健康状態の観察
- 起床や就寝時の寝具整理
- 食事指導
- 衣服の着脱指導
- 入浴指導
- 自学自習への援助
- 集団生活の指導
- 卒業後の自活生活に向けた指導
など、仕事内容は生活全般に及びます。
舎監の給料や資格は?
気になるのは待遇面。
手当や資格について見ていきます。
舎監手当はいくらもらえる?
舎監には、専用の手当が支給される自治体もあります。
和歌山県の教育職員特殊勤務手当に関する規則では、寄宿舎の舎監を兼ねる職員に対し、勤務した日1日につき1,100円を支給すると定められています。
ただし、この金額はあくまで和歌山県公立学校の一例です。
自治体や施設によって手当額は異なります。
資格がなくてもなれる?
特別支援学校の舎監は、教員資格を持つ指導教諭・教諭が務めるのが基本です。
一方、現場で生活支援を担う寄宿舎指導員には教員免許が不要な自治体もあります。
給料の実例は?
北海道の場合、採用日現在で高校卒業以上の学力があれば応募でき、
特別支援学校勤務の初任給は
- 高校卒で233,845円
- 短大卒で257,570円
- 大学卒で278,555円
(令和8年4月1日時点)
です。
扶養手当や地域手当、寒冷地手当なども支給条件に応じて支給されます。
就任を考える場合は、勤務先となる学校や自治体の募集要項を確認するのが確実でしょう。
朝ドラ「風、薫る」モデル・大関和も新潟で舎監に?
ドラマに話を戻しましょう。
朝ドラ「風、薫る」りんのモデルとなった実在の人物も、新潟でまさに舎監を務めていました。
りんのモデルは大関和
一ノ瀬りんのモデルは、実在の看護婦・大関和(おおぜきちか)さんです。
1858年、下野国黒羽藩(現・栃木県大田原市)生まれ。
国家老を務めた大関増虎の次女として誕生しました。
近代看護の礎を築いた功績から「明治のナイチンゲール」と呼ばれています。
看護の道へ
大関和さんは結婚後に離婚を経験し、2人の子どもを育てながら実家に身を寄せました。
1881年、上京。
英語を学ぶため正美英学塾に通います。
その後、牧師・植村正久と出会い、桜井女学校附属看護婦養成所に入学しました。
1887年(明治20年)、帝国大学医科大学附属第一医院がトレインドナースの養成を開始。
大関和さんも実習生となり、1888年に修了します。
新潟の高田女学校に赴任
大関和さんが看護を学んだ桜井女学校は、東京・番町にあったキリスト教系の女学校です。
桜井ちか氏が創立し、のちに矢嶋楫子が校長を引き継ぎました。
高田女学校は、この桜井女学校の分校にあたります。
大関和さんは、帝国大学医科大学附属第一医院(現・東京大学医学部附属病院)で看護婦として勤務した後、明治23年(1890年)10月、新潟の高田女学校に赴任。
ここで「舎監兼伝道師」に就任しました。
大関和も寄宿舎で舎監
高田女学校時代の大関和さんは、キリスト教の伝道と廃娼運動に取り組みながら、寄宿舎の管理役、つまり舎監を務めていました。
翌明治24年(1891年)10月、のちに慈恵医院の初代院長となる本多精一と再会。
高田女学校を離れ、慈恵医院の初代看護婦長へと転身します。
ドラマでりんが新潟で舎監として働く展開は、この史実がベースになっているかもしれませんね。
高田女学校の流れをくむ新潟県立高田北城高等学校は、現在も新潟県上越市にあります。
上越市では2026年、大関和さんをテーマにした展覧会が開催されるなど、地元ゆかりの人物として紹介されています。
大関和のその後の歩み
その後の大関和さんは、看護の道をさらに突き進みます。
- 1890年代後半
十分な教育を受けない派出看護婦の増加が社会問題となる中、看護婦への教育や資格制度の整備に尽力。 - 1900年(明治33年)
東京府は全国に先駆けて「看護婦規則」を制定。 - 1909年(明治42年)
神田猿楽町に大関看護婦会を開設し、みずから看護婦の養成にあたります。
1932年(昭和7年)、73歳で生涯を閉じました。
まとめ
以上、舎監についてご紹介しました。
ドラマの中でりんが新潟の寄宿舎でどう奮闘していくのか、大関和さんの実話と重ねながら見守っていきたいところです。
大関和さんが築いた近代看護師免許制度の礎は、今の医療現場にもつながっていますね。
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