この記事では、2023年の大河ドラマ「どうする家康」第34話(2023年9月3日放送)のあらすじをわかりやすく解説します。
ネタバレを含みますのでご注意くださいね。
どうする家康|第34話のネタバレとあらすじ
どうする家康第33話では、長年に渡り松平家に仕えてきた重臣の石川数正が岡崎から姿を消したところで終わりました。
軍勢を武田流に変更
長年、家康の相談相手であり、厳しく指導してくれた石川数正の突然の行動。
家康だけでなく、酒井忠次ら家臣にも大きな衝撃を与えます。
数正と苦労を共にしてきた家臣らには受け入れがたく、真意が分からないままです。
数正はなぜ、秀吉側に寝返ったのか…。
「己だけが生き残る道を選んだ裏切り者」
と、井伊直政に言われても返す言葉がありません。
「去った者の事はもういい、忘れて今後の事を考えよ」
家康は皆に伝えました。
本多正信も、「難儀なのはこれから」だと言います。
徳川の片腕とも言うべき数正が秀吉側についたことは、徳川の情報が筒抜けだということなのです。
ゆえに、今度こそ迷うことなく秀吉が攻めてくると、正信は危惧していました。
「天下を手に入れて、平和な世の中を作るのは家康である!」
と言い放つ家康ですが…。
家康は、正信の意見を取り入れて、徳川陣営の仕組みを武田信玄・勝頼流に変更することに決めました。
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天正地震
天正13年(1585年)11月29日、巨大地震が発生し、三河地方でも多数の死人が出るほどの被害が出ます。
これがのちに言われる、天正地震です。
より大きな被害を受けたのは、秀吉が治めている畿内一帯。
どれほどの死者が出たのかも見当がつかず、見渡す限りひどいありさまです。
徳川との戦のために準備されていた大垣城も焼け落ちました。
秀吉は、民の救済を優先しなければならない状況で、戦うどころではありません。
「家康ってやつは、つくづく運に恵まれた男だ」
人質
各地で地震の後始末に追われている中、家康を裏切った織田信雄が、岡崎城に家康を訪ねてきました。
信雄がいた伊勢・長島城も地震で崩壊。
「天が戦をやめろと言っておる、上洛なされ」
と、家康に勧めます。
家康は、信雄の説得に納得しながらも、まだ秀吉の事を信用できずに迷います。
そんな迷いをふっきるように、秀吉が、嫁いでいた妹・旭を離縁させて家康の正室にするとまで言い出しました。
二度と正室は取らないと決めていた家康ですが、仕方なく秀吉の申し出を受けることにします。
天正14年(1586年)5月、美人とは言えない年増の花嫁・旭が家康の元に嫁いできます。
旭は、尾張弁で巧みな話術により、家康の母・於大や側室の於愛とすぐに打ち解けました。
徳川と豊臣の両家をうまく取り持とうと明るく接する旭日ですが、家康には受け入れ難い様子です。
「どんなことがあっても上洛はしない、大坂には行かない」
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出奔の理由
家康は本多正信に大坂を探らせています。
秀吉の元で、数正がどんな活躍をしているのか。
しかし数正は、それなりの処遇は受けているものの、屋敷から出ることもめったにないようで、飼い殺し状態。
秀吉にしてみたら、数正は徳川が送ってきた間者かもしれず、長く仕えてきた主を裏切ったとすれば、重用されるのも難しいでしょう。
家康は、悔しさと悲しさが入り混じった表情で、愚かな奴だと呟きます。
数正とよく対立していた平八郎や小平太、直政らも同じ気持ちです。
そんな中、秀吉は、一向に上洛しない家康に業を煮やし、その年の秋、秀吉の母・大政所を浜松城に送ると言ってきます。
妹・旭と母・大政所を送っても上洛しないなら、戦も辞さないとの、秀吉からの最後通告でした。
その場の空気が重く張りつめる中、平八郎や直政が戦をすると言いますが、酒井忠次が冷静になるよう促します。
カギを握っているのは、数正の出奔の理由。
今更ながらに首をかしげる平八郎に、覚悟のうえで行ったに決まっていると酒井忠次が言います。
数正には、他のものには見えないものが見えていました。
「戦の無い世の中をつくるために天下人になる」
亡き妻・瀬名との誓いに家康が心を縛られて苦しんでいたこと。
数正は、自らが悪役になることで、戦を避け、徳川家と家康を守ってきたのでは?
なのに、憎まれ役になるような書き置きまで残した。
そんな数正の真意に家康は気づいたのです。
「数正のあほたあけー!」
数正の生きざまに心の鎖を解かれた家康は、ついに上洛、諸大名が並ぶ中、関白秀吉に臣従を誓ったのでした。
第35話に続きます。
2023大河ドラマ|どうする家康のネタバレとあらすじ全話まとめ!
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どうする家康|第34話の解説
人質時代の家康に付き従い、苦楽をともにした股肱の臣・石川数正。
徳川家の家老まで務めた男がある日、謎の出奔を遂げました。
数正が出奔した確実な理由は明らかになっていません。
「石川数正の寝返りはなぜ?出奔理由とその後を考察!」でも述べましたが、今となっては、さまざまな要素が掛け合わさっての結果だろうと、落としどころをつけるしかないようです。
どうする家康34話では、その出奔理由をどのように家康が解釈するかという点が見どころとなりそうですね。
お愛が数正が残した仏像を見つけたお愛。その台座の中には、数正の想いが隠されていました。
想像するに、ちょっとしんみりとくるシーンになるのではないでしょうか。
豊臣についた数正は、これ以降歴史の表舞台に立つことはありません。
家康が関東に移ると、数正は信濃・松本に領地を得ます。
領主としては有能で松本城の築城や城下町の建設も指揮していますが、文禄2年に松本にて死去しました。
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