大河ドラマ鎌倉殿の13人で、天然愛されキャラとして人気の高い和田義盛。
和田義盛の起こした乱「和田合戦」はなぜ起きたのでしょうか?
和田合戦の背景やきっかけなど、経緯と和田義盛の最期についてわかりやすく解説します。
鎌倉殿の13人|人気キャラ和田義盛ってどんな人?
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が面白いですね!
歴史に詳しい方はもちろん、そうでない方も
「鎌倉で北条氏がいかにして権力を握っていったのか?」
というストーリーに釘付けになっているのではないでしょうか?
謀殺が繰り広げられるシビアなストーリーの中でひと際視聴者に癒しと笑いを届けてくれているのが、
横田栄司さん演じる和田義盛!
横田栄司さんいわく和田義盛は、
「気は優しくて力持ち、みんなから愛される西郷さんみたいなまっすぐな男。でも抜けているところがあるイジられキャラ」
という人物。
和田義盛はこんな人!
和田義盛について簡単に解説すると、こんな感じです。
和田義盛
- 鎌倉幕府初代将軍「源頼朝」とともに、多くの合戦で活躍した御家人
- 弓の名手ともいわれ、武勇に優れた人物
- 鎌倉幕府の初代「侍所別当」に就任
(御家人たちをまとめる機関の長官) - 頼朝亡き後、13人の合議制に加わったひとり
和田義盛と三浦義村の関係は?
【運慶展】19 鎌倉幕府の侍所別当を務めた和田義盛は、三浦義明の長子である杉本義宗の、そのまた長子とされ、実質的な三浦一族の族長としてみなされていました。(写真は三浦義明坐像、横須賀会場のみ展示)#運慶 #運慶展 混雑状況はこちら→@Bunko_Unkei22 pic.twitter.com/UpQteDl8Pd
— 神奈川県立金沢文庫 (@Kanagawa_bunko) October 15, 2022
和田義盛は、源氏武士の鏡と言われた三浦義明の孫。
父親は杉本義宗で、1147年(久安3年)に生まれました。
和田義盛は、相模国三浦郡和田郷・安房国和田御厨に所領を有したことから和田姓となりました。
弓の名手として数々の戦で手柄をあげ、政治にも加わり、重要な役どころについていた和田義盛。
一方で性格はというと、
- 単純、短気でケンカしやすい
- 戦場で小鳥を拾ってくる
などといったエピソードも残っていて、
鎌倉殿の13人のドラマの中で伺えるような天然愛されキャラという一面も持っていたようですね。
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和田合戦をわかりやすく解説!なぜ起きたの?
もう、これさぁ
親子にしちゃってよくない?
どっか山奥で静かに暮らしてほしいなぁ…#鎌倉殿の13人#源実朝#和田義盛 pic.twitter.com/Nn018flmPt— まさぴろ (@koharusoraM) October 8, 2022
鎌倉殿のために頼朝の時代から名実ともに尽くしてきた和田義盛。
鎌倉殿視聴者にとっては癒しキャラのひとりでもありますが、
残念なんことに、1213年(建暦3年)の和田合戦で討ち死にすることになります。
和田義盛を討ち死にに追いやった相手は北条義時ということで、鎌倉殿の13人を観ている方には
「なぜ?あんなに仲良かったじゃん!」
という解せない気持ちもあるのではないでしょうか?
和田合戦はなぜ起きたのか、背景やきっかけについて簡単にみていきましょう。
和田合戦の背景
頼りなかった3代目鎌倉殿の源実朝が成長していき、政治においても従三位になり、政所をもつなど、
だんだんと鎌倉殿が力を持つようになっていきます。
北条家の思いのとおりに鎌倉での政治を行いたいと考えている北条義時は、もちろんのこの状況を良しとはしません。
御家人たちが源実朝になびくことで、北条の力がそがれていくことを懸念していました。
そしてまた、御家人たちを思うがままに動かしたいと思っていた北条義時にとって、侍所別当だった和田義盛は目の上のたん瘤。
目障りな存在となっていたのです。
和田合戦のきっかけと始まり
そんなとき、幕府の執権を握っていた北条義時に反発する御家人が出てきて、義時に謀反を起こす計画が発覚しました。
その動きに、和田義盛の一族が加担していることが判明。
実朝の信頼も厚かった義盛は、この計画について、一族の赦免を実朝に申し出ます。
実朝は和田義盛の息子については、お咎めなしとしますが、
義時は、謀反の首謀者だった和田義盛の甥・胤長(たねなが)の赦免は拒否。
それどころか、
御家人を自分の思うように動かしたい北条義時はこれを好機ととらえ、
和田義盛の甥を取っ掛かりにして、和田義盛に謀反を起こさせようとします。
そこに利用したのが盟友であった三浦義村です。
三浦義村に和田義盛をたきつけさせ、義時に反発する御家人たちによる謀反を起こさせました。
北条義時は、和田義盛及び打倒義時を叫ぶ御家人たちを相手に闘うことになります。
これが和田合戦です。
和田合戦の結果は?
和田義盛からすれば、当然見方についてくれると思っていた三浦義村は、直前に、北条義時側に乗り換えます。
鎌倉殿の13人の山本耕史さんをみていると想像つきますよね…。
そして和田合戦の結果は北条義時側の勝利。
和田義盛は由比ガ浜で討ち死にすることになります。
こうして、和田合戦に勝利した北条義時は、侍所別当の後任となり御家人の統制を強めていくことになるのですね。
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和田義盛の最期
ヘッダー18
今月から鎌倉殿の13人で始まる和田合戦。
テレビの前で和田殿の最期見届けていきたいと思います…
でもほんとガッキー目当てで見始めたのに一番の推しキャラになるとわ。。#鎌倉殿と13人と和田殿と pic.twitter.com/ejTbu8Q2vM— 長月 (@furehana) October 1, 2022
2日間続いたという和田合戦。
味方だった同族の三浦氏が幕府側に寝返り裏切られたものの、五分の戦いをしていた和田義盛ですが、
幕府軍の更なる加勢や息子の和田義直が討たれたことを知らされて戦意喪失。
由比ヶ浜まで撤退させられ、67歳での生涯を終えることになりました。
和田一族も200人以上が壊滅させられています。
源氏に仕え、数多くの戦で活躍、特に弓で活躍し、北条氏にも協力してきただけに和田義盛の最期…。
権力を持った煙たい御家人として裏切りにより殺害されてしまったのです。
以上、和田義盛や和田合戦について簡単ではありますがご紹介しました。
鎌倉殿の13人で横田栄司さん演じる和田義盛が退場となるのは、なんとも切ないですね…。
一方で和田合戦が『鎌倉殿の13人』でどのように描かれるのか、楽しみでもあります。
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