2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』で描かれる吉原の祭り「俄(にわか)」。この祭りの様子を詳細に記録した本が『明月余情(めいげつよじょう)』です。べらぼう第12話で描かれます。
江戸の人々が熱狂した祭りを、まるで写真のように残したこの一冊。当時の賑わいや華やかな演目を伝える貴重な資料でもあります。
今回は、そんな『明月余情』の内容や、吉原で行われた「俄」の魅力をわかりやすくご紹介します!
『明月余情』とは? 吉原の祭り文化を記録した江戸の絵本
江戸の華やかな遊郭文化を知るうえで欠かせない一冊、それが『明月余情(めいげつよじょう)』です。安永6年(1777年)に出版されたこの絵本は、吉原で行われた「俄(にわか)」と呼ばれる即興の演劇や踊りの様子を詳細に記録したもの。現代でいうならば、祭りのガイドブックや特集雑誌のような存在だったのかもしれません。
では、この絵本が生まれた背景と、その魅力について詳しく見ていきましょう。
出版の背景と目的——江戸の祭りを後世に残す試み
江戸時代には、庶民の間で「俄(にわか)」と呼ばれる即興劇や踊りが大流行していました。特に吉原で行われる俄は、町人たちだけでなく、武士や文化人も注目するほどの一大イベントでした。
しかし、俄はあくまで即興劇。その場限りの芸能であり、舞台が終われば記録に残ることはほとんどありませんでした。そこで生まれたのが『明月余情』です。吉原での祭りを詳細に描き、演者や出し物の様子を後世に伝えることを目的としたこの絵本は、まさに「江戸の祭り文化を後世に残す試み」といえるでしょう。
また、当時の出版文化は庶民の娯楽として発展しており、祭りを題材にした書籍の需要も高まっていました。人々は、「どんな出し物があったのか?」「今年の祭りの盛り上がりはどうだったのか?」と興味を持ち、書物を通じて祭りを追体験していたのです。
蔦屋重三郎の役割——吉原と出版文化をつないだ仕掛け人
『明月余情』の出版には、当時の出版界をリードしていた蔦屋重三郎が関わっています。彼は後に浮世絵師・喜多川歌麿や葛飾北斎を世に送り出し、黄表紙や洒落本の分野でも成功を収めた江戸の出版界の革新者でした。
しかし、この時期の蔦重はまだ駆け出しの出版人。そんな彼が手がけた『明月余情』は、単なる祭りの記録にとどまらず、吉原の文化を広めるための一大プロジェクトでもありました。祭りの賑わいを記録することで、吉原の魅力を江戸中に伝え、遊郭の活気を後押しする狙いがあったのです。
また、蔦重は優れたネットワーカーでもありました。祭りの熱気を伝えるために、江戸の文化人や浮世絵師たちとも連携し、『明月余情』の内容をより豊かなものにしていったのです。この時点で彼の編集者・プロデューサーとしての才能が発揮されていたことは間違いありません。
次に、『明月余情』が記録した「俄」とはどのようなものだったのか、その内容について詳しく見ていきましょう。
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吉原の「俄」とは?——江戸の祭り文化を彩った即興芸能
江戸の吉原では、毎年8月中旬から9月中旬にかけて「俄(にわか)」と呼ばれる即興の演劇や踊りが披露されていました。吉原といえば遊郭のイメージが強いですが、実はただの遊び場ではなく、当時の最先端の芸能や文化が生まれる場所でもありました。その吉原を象徴する華やかな祭りの一つが「俄」だったのです。
この祭りの期間中、吉原中の茶屋や妓楼(ぎろう)が参加し、幇間(ほうかん/男性の芸人)や芸者たちが屋台の上で踊りや芝居を披露しました。さらに、彼らは鳴り物を伴いながら町を練り歩き、まるで現代のパレードのような賑わいを見せたといいます。
吉原の「俄」は、単なる娯楽にとどまらず、江戸庶民の文化の一端を担う重要な催しでした。では、その「俄」の起源や特徴を詳しく見ていきましょう。
「俄」の起源と特徴
「俄」の起源は、享保年間(1716~1736年)にまでさかのぼります。当時、庶民の間では即興の演劇や踊りが盛んに行われており、その流れが吉原にも波及しました。
この「俄」の最大の特徴は、事前に練習された決まった演目ではなく、その場の雰囲気や時事ネタに応じて、即興で演じられることでした。たとえば、その年に話題となった事件や流行りの人物が芝居に取り入れられ、観客を大いに沸かせました。まさに、江戸時代版のコントやパロディ劇のような存在だったのです。
また、「俄」は庶民だけでなく、吉原の茶屋や妓楼の奉公人、芸者など、多くの人々が参加する一大イベントでもありました。彼らが派手な衣装を身にまとい、華やかに踊る姿は、吉原の活気を象徴する光景だったのでしょう。
吉原での「俄」の意義
吉原の「俄」が特別だった理由の一つは、遊女たちもこの祭りに関わっていたことです。通常、吉原の遊女たちは楼内にこもって客をもてなす立場にありましたが、「俄」の時期には特別に芝居や踊りを披露することがありました。
彼女たちにとって、「俄」はただの祭りではなく、自らの芸を磨き、客にアピールする場でもあったのです。たとえば、浄瑠璃や長唄(ながうた)などを得意とする遊女が、舞台でその腕前を披露すれば、その評判が広まり、格式の高い「花魁(おいらん)」へと昇りつめるチャンスになったかもしれません。
また、「俄」は吉原全体の景気を左右するイベントでもありました。祭りが盛り上がれば、江戸中から見物客が押し寄せ、吉原の経済が潤うのです。そのため、吉原の茶屋や妓楼の主人たちも一丸となって祭りを成功させようと尽力しました。
このように、「俄」は吉原の遊郭文化にとって欠かせない存在であり、そこには遊女たちの努力や、吉原で働く人々の思いが詰まっていました。
続いて、それを記録した『明月余情』の魅力を、次の章でさらに詳しく見ていきましょう。
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『明月余情』の内容と構成
吉原の華やかな祭り「俄(にわか)」を記録した『明月余情』は、単なる遊里の案内本ではなく、まるで祭りの熱気をそのまま閉じ込めたような作品です。安永6年(1777年)に出版されたこの絵本は、全3編で構成され、それぞれ異なる演目や演者たちを詳細に紹介しています。
江戸の庶民が熱狂した祭りの雰囲気をどのように伝えているのか、その構成と魅力を見ていきましょう。
まず、物語の始まりを飾る序文が添えられています。
序文とは、本の冒頭に置かれる文章で、執筆の背景や作品の意義を伝える役割を果たします。本作の序文は、秋田藩士でありながら戯作者として活動していた朋誠堂喜三二(めいせいどう きさんじ)こと平沢常富(ひらさわ つねとみ)が手がけました。
⇒ 平沢常富の正体とは?戯作者・朋誠堂喜三二としての二重生活と蔦屋重三郎との関係
全3編の構成
『明月余情』は3つの編に分かれており、それぞれが異なる「俄」の演目や、出演する遊女や芸者たちを紹介しています。
第1編
第一編では、「俄」そのものの成り立ちや背景が語られ、どのようにして吉原の遊郭文化と結びついていったのかが描かれています。ここでは、吉原の妓楼(ぎろう)や茶屋の関係者がどのように祭りを盛り上げたのか、準備段階から詳しく紹介されています。
第2編
第二編では、実際の演目や演者たちが登場します。江戸の人気役者や芸者たちが、即興で芝居や踊りを披露する様子が詳細に描かれており、当時の観客がどのように楽しんでいたのかが伝わってきます。
第3編
第三編では、祭りのクライマックスと余韻が描かれ、観客たちの熱狂や、祭りを終えた吉原の様子が生き生きと表現されています。この巻では、遊女や客たちの交流の様子も見られ、祭りが単なる娯楽ではなく、吉原にとって重要な文化的なイベントだったことがわかります。
画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション
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勝川春章の挿絵と文章の魅力
『明月余情』の大きな魅力の一つは、当時の祭りの様子を克明に描いた挿絵にあります。
屋台の上で舞う芸者、芝居に熱狂する観客たち、そして通りを練り歩く華やかな衣装の役者たち——これらの情景が、まるで現場にいるかのような臨場感で描かれています。現代の感覚でいえば、フェスのライブ写真や祭りのパレード映像のようなもの。当時の読者にとっても、ページをめくるだけで祭りの熱気を感じることができる一冊だったのでしょう。
そんな『明月余情』の挿絵を手掛けたのが、江戸時代を代表する浮世絵師・勝川春章(かつかわ しゅんしょう)です。
春章は、役者絵や美人画で名を馳せた絵師で、彼の描く人物はリアルな表情や動きが特徴的でした。『明月余情』でも、その筆致が存分に発揮されており、踊る芸者のしなやかな姿や、芝居に熱狂する人々の熱気が細かく表現されています。春章の挿絵があったからこそ、祭りの賑わいが一層リアルに伝わってくるのです。
また、文章も遊び心に溢れています。 洒脱な言葉遣いで祭りの雰囲気を軽快に伝え、時には読者に語りかけるような表現も見られます。特に、祭りの場面では、登場人物のセリフや掛け合いが巧みに描かれており、実際の「俄」の演目をそのまま再現しているかのようです。
勝川春章の臨場感あふれる挿絵と、軽妙な文章が融合することで、『明月余情』は単なる記録を超え、まるで祭りの空気をそのまま閉じ込めたような一冊となっています。江戸の庶民が夢中になった「俄」の熱気が、今もページの中で生き続けているのです。
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以上、今回は『明月余情』と吉原の「俄」についてご紹介しました。
江戸の華やかな祭り文化を記録した『明月余情』は、単なる遊郭の案内本ではなく、当時の人々の熱気や賑わいを今に伝える貴重な資料です。挿絵や洒脱な文章から、祭りの活気や遊女たちの芸事、吉原の文化が鮮やかに浮かび上がってきます。
大河ドラマ『べらぼう』でも、蔦屋重三郎がこの祭りの記録を出版しようとする姿が描かれました。江戸の文化を支えた出版の力や、人々の楽しみを記録しようとする意義に改めて注目してみると、ドラマの世界がより深く楽しめるかもしれません。
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