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耕書堂(蔦屋重三郎の店)は日本橋のどこ?現在ーその後の跡地はどうなってる?

2025年の大河ドラマ『べらぼう』では、蔦屋重三郎が吉原を飛び出し、日本橋に新たな店を構えようとする姿が描かれ、物語はいよいよ大きな転換点を迎えていますね。

その舞台となる「耕書堂」は、実在した蔦重の書店。では、史実における耕書堂は実際、日本橋のどこにあったのでしょうか?そして今、その跡地はどうなっているのか?

この記事では、大河ドラマべらぼうで再注目されている耕書堂の歴史や所在地、その後の変遷などを紹介します。

 

日本橋の耕書堂の現在は?跡地は今どうなってる?

2025年の大河ドラマ『べらぼう』で、蔦屋重三郎が新たな一歩として選んだのが「日本橋」

蔦屋重三郎が開こうとしている書店の名前が「耕書堂(こうしょどう)」です。吉原の出版人から、時代を動かすメディア王へ――その象徴ともいえるのがこの耕書堂。

まずは現在の様子をみていきましょう。

江戸時代の「耕書堂」は現在のどこにあった?

耕書堂があったのは、中央区日本橋大伝馬町(旧・通油町)

天明3年(1783年)にこの地に移り、北斎、歌麿、写楽らの版元として輝きを放ちました。

現在、その住所「日本橋大伝馬町13-8先」の歩道には、蔦屋重三郎「耕書堂」跡の説明板があり、まさに“ここがかつての本拠地”として訪問者を迎えています 。

この一帯は江戸時代の日光街道・本町通りに面し、当時、出版業者が軒を連ねる「書肆街(しょしがい)」だった場所。まさに文化と情報が行き交う一等地だったのです 。

耕書堂の跡地は今、何が建っている?

では現在、その跡地にはどんな風景が広がっているのでしょうか?

今の耕書堂跡は、ごく普通のオフィスビルが立ち並ぶ一角。

案内板の他に、建物や痕跡は見当たらず、「何も残っていない」とする訪問者の声も多いようです 。

耕書堂のその後は?

蔦屋重三郎が没した後、耕書堂は後継者によって引き継がれましたが、明治時代の版元再編や出版統制などの潮流によって、やがて店は廃業。現代に至るまで事業は続いていません

跡地に大規模な商業施設が立ったわけではなく、オフィス街の“裏通り”として静かに歴史を刻むのみ。消えた建物が人々の記憶の中に生き続ける場所として機能しています。

⇒ 蔦屋重三郎の家系図|子孫の現在は?妻は誰?跡継ぎも調査

 

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べらぼうで話題の蔦屋重三郎の書店「耕書堂」とは

蔦屋重三郎が日本橋にかまえた耕書堂は、実際にはどんな店だったのでしょう?また、大河ドラマ「べらぼう」ではどんなふうに描かれていくのでしょうか?

その魅力と背景をひもといていきましょう。

 

耕書堂は日本橋・通油町にあった

蔦屋重三郎の耕書堂が店を構えた日本橋・通油町は、江戸時代、全国から商人が集まる活気あふれる商業地でした。

なかでも隣接する大伝馬町は、伊勢出身の木綿問屋が軒を連ねた“伊勢店街”として知られ、「大伝馬町一丁目は伊勢店ばかり」と揶揄されるほどのにぎわいを見せていたのです。

本町通り沿いのこの一帯は、木綿の流通を支える商人たちの往来で日々にぎわい、その熱気の中に耕書堂もありました。

書物を届けるにも、人と文化が交差するにも絶好の立地。まさに耕書堂は、江戸の情報と文化の交差点に根を下ろしていたのです。

日本橋耕書堂

広重『東都大伝馬街繁栄之図』,桜井. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1307610 (参照 2025-06-19)

実在の耕書堂とはどんな書店だった?

耕書堂

浅草庵 作 ほか『画本東都遊 3巻』,享和2 [1802] 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533327 (参照 2025-06-20)

では、この耕書堂は史実ではどんな存在だったのでしょうか?

耕書堂は、若き日の蔦屋重三郎が吉原の大門近くに開いた地本問屋が原点。その後、天明3年(1783年)に日本橋通油町へと拠点を移し、江戸の出版界で一気に頭角を現します。

耕書堂の強みは、仕入れから制作、販売までを一手に引き受ける体制。まさに現代でいう「出版社 × 書店 × 企画プロデュース」を一人で担う、超先進型の書店だったのです。

出版物も多彩で、「吉原細見」「黄表紙」「狂歌本」「浮世絵」などが爆発的にヒット。まさに“江戸のヒットメーカー”として耕書堂の名は広まりました。

大河ドラマ『べらぼう』で描かれる耕書堂の姿

『べらぼう』の物語は、吉原の片隅から始まった蔦屋重三郎が、夢と覚悟を胸に日本橋進出を目指すという展開へ(べらぼう第24話)

その中で登場する「耕書堂」は、ただの本屋ではありません。文化人たちが集い、絵師や戯作者との交流が花開く、まさに“江戸のクリエイティブハブ”として描かれていくに違いありません。

 

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耕書堂を再現したイベントを紹介

蔦屋重三郎が営んだ「耕書堂」は、今や建物そのものは残っていません。

でも実は、彼の志や雰囲気を今に伝える“小さな再現”が、江戸の街のあちこちで行われているようです。

ここでは、そんな耕書堂の“面影”に出会える場所や展示をいくつかご紹介しましょう。

耕書堂の再現空間「イチマス田源」

まず注目したいのは、日本橋通油町にある老舗呉服店「イチマス田源」。

なんとこのお店の一角に、蔦屋重三郎ゆかりの耕書堂を再現した空間が登場しています。行灯や版木、浮世絵の複製が飾られ、まるで江戸の書店にタイムスリップしたような気分に。

十思スクエアで耕書堂の書籍ギャラリー

また、台東区の旧十思小学校を改修した「十思スクエア」では、耕書堂の書籍や浮世絵を復元・展示したギャラリーが公開中。地域の人々と一緒に作り上げた、ぬくもりのある展示が魅力です。

現代の蔦屋書店と蔦屋重三郎の“思想的つながり”

実は、今や全国展開している「蔦屋書店(TSUTAYA)」も、名前の由来はあの蔦屋重三郎。

創業者の増田宗昭さんが、江戸の出版文化人である蔦重の姿勢に共鳴し、その名を冠したと語っています。

「耕書堂」ロゴ入りグッズや文具なども販売され、歴史と現代カルチャーが緩やかにつながっています。

⇒ 蔦屋重三郎とTSUTAYAの関係とは?名前の由来や共通点を解説!

 

博物館で感じる“江戸の本屋”の再現

東京国立博物館では、特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」が開催されていました。

6月15日で閉幕と、すでに終わってしまったのですが、またどこかの博物館で、同様のイベントが行われるかもしれませんね。

 

吉原の耕書堂も再現

吉原の耕書堂も再現されています。

こちらは1年間開催されるということですので、ぜひ足を運んでみてくださいね。

 

以上、今回は蔦屋重三郎が営んだ耕書堂の現在と跡地、そしてその再現イベントについてご紹介しました。

江戸時代、日本橋に実在した耕書堂は、出版の中心地として数々の文化を世に送り出した伝説の書店。建物自体は残っていませんが、その精神は現代にもさまざまな形で息づいています。

ドラマ『べらぼう』をきっかけに再び注目を集める耕書堂。街を歩けば、その痕跡や雰囲気を感じられる場所がきっと見つかるはずです。
あなたもぜひ、重三郎の時代の風を感じに出かけてみてはいかがでしょうか。

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