この記事では、2023年の大河ドラマ「どうする家康」最終回(第48話)(2023年12月17日放送)のあらすじをご紹介します。
ネタバレを含みますのでご注意くださいね。
どうする家康|最終回(第48話)のネタバレとあらすじ
大坂夏の陣について茶々と秀頼は自害。
豊臣家が終焉を迎えました。
平和の日々
日本にはついに真の平和が訪れました。
将軍・秀忠は、多くの家臣たちに慕われ、政治を行っています。
民からは、
「今日、この平和な世があるのもすべて君のおかげ。ありがたやありがたや…」
と、感謝の言葉が寄せられていました。
一方、秀忠の子・竹千代は、神君家康の物語を乳母の福から聞かされていましたが、神に会いたくないと恐れていました。
家康の晩年
大坂の陣を終えてから体調を崩し、駿府城で静かに過ごす家康。
家康の病状は日に日に悪化し、元和2年1月、鷹狩り中に倒れ、床につきます。
同年3月、家康は太政大臣に任命されましたが、家康が本当に求めていたものは、そのような地位ではありませんでした。
最後の対面
家康の病状が悪化する中、杖をついて家来に支えられながら、本多正信が家康の元を訪れます。
「正信もすぐに参ります。長きにわたり、まことにご苦労なことでございました」
家康の手を握り、感謝の言葉を述べる正信。
家康の手が弱々しく正信の手を握り返します。
(正信はその後、家康の死を追うようにこの世を去ることになります。)
家康の最期
桜が散った晩春、家康の命の灯はほとんど消えかけていました。
家康の意識の中で、過去の出来事や愛すべき家臣たちの顔が次々と浮かび上がります。
そして、元和2年4月17日、徳川家康はその波乱に満ちた生涯を閉じました。
2023大河ドラマ|どうする家康のネタバレとあらすじ全話まとめ!
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どうする家康|最終回(第48話)の解説と感想
とうとう、どうする家康最終回までやってきましたね。
最終回では、家康の最期が描かれます。
武家諸法度
豊臣家が滅亡したのち、家康はすべての大名を幕府に服属させることに成功。
その後は、幕府の礎を盤石にするために、秀忠に武家諸法度の発布を実行させます。
武家諸法度は、江戸時代初期に徳川幕府が制定した一連の法令で、武士の行動規範や身分制度を定めたものです。これにより、社会秩序の維持と幕府の権威の確立が図られました。
どんな内容なのか、具体的におさらいしておきましょう。
歴史の授業を思い出しますね。
1. 身分制度の確立
武士、農民、工匠、商人の四民分立を定め、それぞれの身分に応じた職業や生活様式を規制しました。
2. 武士の倹約と模範的行動
武士に対して贅沢を戒め、倹約を奨励。武士は模範的な行動を取るべきとされ、不品行な行動は厳しく罰せられました。
3. 私闘の禁止
武士間の私闘を禁じ、トラブルがあれば幕府や藩主に報告し解決することを求めました。
4. 家族や家臣の管理
武士は家族や家臣の行動に責任を持ち、不品行な行動があれば処罰することが求められました。
5. 宗教活動の制限
キリスト教の禁止や仏教寺院への厳しい監視を行い、宗教を通じた外国勢力の影響を防ぎました。
6. 領地や人民の管理
大名や旗本は自らの領地や人民を適切に管理し、税を納めることが求められました。
これらの法令により、武士の行動規範が厳しく定められ、社会秩序の維持と幕府の権威の確立が図られました。また、身分制度の強化により、社会の安定を促進しました。
家康の最期
家康が亡くなったのは、大坂夏の陣が終焉したその約9か月後のこと。
1616年6月1日に死去しました。
家康の死因については諸説ありますが、一般的には病死とされています。
家康は生前、健康には非常に気を使っており、特に晩年は病気になることを非常に恐れていました。
最期の様子
家康の最期は、病床についた後、約一週間にわたって続きました。
家康は病気になるとすぐに自らの死を悟り、遺言を残し、家臣たちに最後の指示を出しました。
自らの死を前にしても非常に冷静であり、家康の死を看取った家臣たちはその死に様を
「武将として相応しいものであった」
と評しています。
家康のお墓は?
家康の死後、彼の遺体は静岡県にある久能山東照宮に葬られました。これは家康自身が生前に指定した場所であり、彼の遺志に従って執り行われました。
そして一周忌ののち、秀忠によって、日光東照宮に勧請されました。
どうする家康最終回では、かつての家臣たちが、思い出として登場するかも…?
また、春日局が登場しますので、こちらのキャストも大注目ですね!
どうする家康 最終回の感想
※感想は放送後追記します。
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