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本多忠勝の娘・稲の武勇伝エピソード!どうする家康では鳴海唯が小松姫に!

徳川家康の最強家臣とうたわれた本多忠勝。

今回は本多忠勝の娘・稲(小松姫)をピックアップ。

  • 本多忠勝の娘・稲(小松姫)どんな女性だったのか
  • 本多忠勝の娘・稲(小松姫)の武勇伝エピソード
  • 2023年の大河ドラマ「どうする家康」で稲役を演じる鳴海唯さんについて

ご紹介します。

 

本多忠勝の娘・小松姫の生涯

本多忠勝は、徳川四天王の1人として徳川家康を支え、57回の戦でかすり傷すら負わなかったと言われる戦国武将。

そんな本多忠勝の娘・稲(小松姫)の生涯をみていきましょう。

 

本多忠勝の長女として生まれる

戦国最強武将の長女として、天正元年(1573年)に生まれた於小亥(おねい、後の稲・小松姫、大蓮院)。

母親は忠勝の側室・乙女の方です。

幼名は稲姫、通称で小松姫というのが一般的のようですね。

 

真田信之に嫁ぐ

本多忠勝の娘・稲(小松姫)が女傑として有名になったのは、真田信之と結婚したことから始まります。

天正13年の第一次「上田合戦」において、徳川家康は真田昌幸に敗北。

敵対関係となっていた徳川家と真田家を結びつけたのが、ふたりの政略結婚でした。

 

稲(小松姫)は、家康の養女となる形を経て、真田信之に嫁ぎました。これには豊臣秀吉の意向も働いたといわれています。

これにより、真田家と徳川家が和解した形となりました。

 

48年の生涯

秀吉は、諸大名の妻子を大坂に住まわせており、稲(小松姫)も大坂にいたとされています。

当時、信之には真田信綱の娘・清音院殿が正室にいましたが、稲との結婚により、稲が正室、清音院殿が側室となりました。

 

信之の長男・信吉は清音院殿の子ですが、長女・まん、次女・まさ、次男・信政、三男・信重が小松姫の子とされています。

 

信之を支えてきた稲(小松姫)ですが、元和6年(1620年)に病気を患い、江戸から湯治のため草津温泉に向かったものの、武蔵国鴻巣で具合が悪くなってしまいました。

 

知らせを受けた信之が駆けつけると、稲(小松姫)は、

「まだ雪も解けぬのにありがとうございました。」

とお礼を言ったそうです。

 

48歳の生涯を終えた稲(小松姫)に信之は、「我が家の灯火が消えた」と嘆いたといいます。

 

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稲(小松姫)の逸話3選!武勇伝エピソードを紹介!

聡明で容姿も端麗だったという稲(小松姫)。

勇猛な父・忠勝の血を受け継ぎ、性格も勝気でありながら、愛情あふれた女性だったといわれています。

 

稲(小松姫)には「本多忠勝にこの娘あり」と言われるような逸話やエピソードがあります。

本多忠勝の娘・稲に関する3つの逸話をここでご紹介したいと思います。

 

稲(小松姫)の逸話①「婿選び」

稲(小松姫)が真田信之に嫁ぐ前のこと。

徳川家康が小松姫に婿を選ぶように、独り身の大名を広間に集めたのですが、稲は、1人1人の髷を掴んで品定めを始めたのです。

 

家康によって集められたこともあり、誰も文句が言えない中、真田信之だけが稲の手を払いのけました。

そして稲は「この男しかいない」と、信之を選びました

 

真田昌幸は、徳川を嫌っていましたが、婚礼で信之と稲(小松姫)が並んだ姿は、周囲もうらやむほどお似合いだったそうです。

昌幸は、「信之にはもったいない嫁だ」とも言ったという話も。

信之には当時、正室が居ましたが、その正室を側室にしてまでの結婚となりました。

 

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稲(小松姫)の逸話②「沼田城入城拒否」

関ヶ原の戦いの直前、上杉征伐で真田家は「犬伏の別れ」で分裂。

信之は東の家康側、昌幸と弟の信繁は西の豊臣側につくことを決意します。

 

その後、沼田城を任されていた稲(小松姫)の所に、真田昌幸と信繁親子が訪れます。

休憩して孫の顔を見たいという昌幸でしたが、義父に対して稲は、「たとえ父上でもみだりに入城を認めることはできない」と、昌幸の沼田城への入城を拒否したのです。

 

稲(小松姫)は武装した姿で、戦も覚悟の上で城門に立っていました。

この姿を見て昌幸は、真田の家は安泰だと喜んだと同時に自分の行動を恥じたと言います。

 

しかしその後、稲(小松姫)は、昌幸・信繁親子が宿営していた近くの正覚寺に、子供を連れて現れます。

宿営の手配や、孫に会いたいという昌幸の願いを叶えた稲(小松姫)。敵味方となっても、親子の情けを大事にしたのですね。

 

稲(小松姫)の逸話③「良妻賢母」

関ヶ原の戦いで西軍に付いた真田昌幸と信繁親子は、信之と本多忠勝の働きかけにより、高野山・九度山に流罪となります。

 

そんな二人に対し、稲(小松姫)は自費で仕送りをしていました。

さらに、真田家の倹約に務めながら、信之を支えていくのです。

稲(小松姫)は、強気な性格の女傑でありながら、細かい所にも気遣いができ、献身的に信之を支え続けた素晴らしい女性だったのですね。

 

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どうする家康で稲(小松姫)を演じるのは鳴海唯

どうする家康キャスト稲

NHK大河ドラマ「どうする家康」で、稲(小松姫)を演じるのは鳴海唯さん

NHK連続ドラマ小説「なつぞら」に出演したこともありますね。

 

鳴海唯さんは、1998年5月16日生まれ、兵庫県西宮出身の女優。

運動全般を趣味とし、2023年8月には初めての写真集・Sugarlessも発売されました。

 

2023年10月には、テレビ東京系で、連続ドラマ「すべて忘れてしまうから」に出演予定。

テレビドラマや映画、CMに幅広く活動の場を広げており、今後の活躍が楽しみです。

2016年の大河ドラマ「真田丸」では、本多忠勝の娘・稲(小松姫)を吉田羊さんが演じましたね。吉田羊さんの「クールで気の強い稲」も素敵でしたが、鳴海唯さんの演じる稲も楽しみ!

 

本多忠勝の娘・稲の初登場は「どうする家康第35話(2023年9月17日放送)」です。

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