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奥平信昌の妻は亀姫!子孫は?前妻おふうはどうする家康に登場する?

どうする家康第21話からは長篠の戦いが描かれますね。

そこに登場する奥平信昌。家康の長女・亀姫が嫁いだ武将ですが、どんな人物だったのでしょうか?

今回は、奥平信昌や前妻「おふう」、そして亀姫と間に続く子孫についてリサーチしてみました。

 

奥平信昌とはどんな武将?

まずは、奥平信昌とはどんな武将だったのか、かけ足でみていきましょう。

 

奥平氏は三河国設楽郡作手(現・新城市)に勢力を広げた国衆です。

 

奥平信昌は、奥平定能の長子で、元亀元年の姉川の戦いで父に従って出陣。

その後武田氏に仕えますが、本多広孝の仲介で家康の元に帰参することになります。

  • 元亀3年の長篠の戦いでは長篠城を任され、武田勢を撃退。
  • (それまでは定昌と称していましたが、長篠の戦いで信長に武功を認められ、「信」の一字を与えられました。)
  • 翌年、家康の長女・亀姫を妻とする
  • 以降、小牧・長久手の戦いや小田原攻めなどで活躍
  • 関ケ原の戦いで戦功を挙げ京都所司代に就任
  • 慶長6年には美濃加納城(岐阜市)と3万石を拝領

どうやら徳川一門の待遇を受け、出世した武将のようですね!

 

続いて、亀姫が嫁ぐことになった経緯などもみていきましょう!

 

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奥平信昌の妻は亀姫!前妻おふうの悲劇とは?

徳川家康の長女・亀姫(母は正室の築山殿)がなぜ奥平信昌に嫁ぐことになったのでしょうか?

 

亀姫との結婚

当時、武田氏との攻防戦を繰り広げていた家康。

奥三河の豪族・奥平氏を味方につけたいと考えていました。

 

奥平氏は、もともとは家康の家臣でしたが、武田氏の勢力が強まったことを受け、武田に寝返ったのです。

しかし、信玄が病死した後、奥平家当主・信昌は、再び家康に帰順することに。

 

その際、家康は帰参の条件として、亀姫を嫁がせることを提示

奥平氏との結束を強めようとしました。

奥平信昌は承諾し、長篠の戦いの翌年に亀姫は信昌に嫁ぐことになります。

 

前妻おふうの悲劇とは?

実は、奥平信昌は武田家に属していた頃、おふう(於フウ)という幼い女性と結婚していました。

 

おふうは、三河日近城主・奥平貞友の娘。

しかし、信昌の弟・千丸などとともに、武田家に人質に出されていたのです。

 

奥平一族が、武田から再び徳川に帰参したことで、武田勝頼は激怒し、山県昌景によって、おふうたちは磔の刑に処されました。

そのとき、おふうはまだ16歳だったといいます。

(おふうのお墓は鳳来寺参道入り口に残されています。)

 

亀姫との婚姻は、家康から奥平信昌への詫びの意味合いもあったのでしょう。

また、家康はおふうの姉妹・たつを久松松平定勝の正室としています。

 

おふう達が処刑されたことを不憫に思ってのことだったのかもしれませんね。

 

「おふう」はどうする家康に登場する?

奥平信昌の最初の妻「おふう」の悲劇はどうする家康で描かれるのでしょうか?

キャストをチェックしたところ、「おふう」らしき女性の設定は見当たりませんでした

 

家族を人質にとられることの悲劇を「どうする家康」でどう表現するのか、見たい気もしますが…。

これは第21話以降をみてみないことには何とも言えませんね。

 

ただ、どうする家康第21話は、信昌と、家臣である鳥居強右衛門とのストーリーにフォーカスした物語となるようなので、おふうは登場しない可能性が高そうです。

 

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奥平信昌の子孫は?

続いて、奥平信昌の子孫、子供をみてみましょう。

 

信昌は、亀姫との間に4男(家昌・家治・忠政・忠明)と1女をもうけます。

 

奥平家昌

美濃加納藩主となります。

正室は、正室は本多忠勝の次女・法明院。

子どもは、

  • 奥平忠昌(長男)
  • ビン姫(徳川秀忠の養女⇒堀尾忠晴正室に)

 

奥平家治⇒松平家治

家康の養子になり、家康の関東移封に伴い、上野国長根7000石を拝領するものの、14歳で早世

死因は不明。

 

奥平 忠政

家康の養子となって松平姓を許されたため、松平忠政と呼ばれることも。

正室は、里見義頼の娘陽春院殿。

子は奥平忠隆

 

第三代美濃加納藩主となるも、35歳にて死去。

 

奥平忠明⇒松平忠明

家康の養子となり松平姓になります。

  • 江戸幕府大政参与
  • 三河国作手藩
  • 伊勢国亀山藩
  • 摂津国大坂藩
  • 大和国郡山藩
  • 播磨国姫路藩主

正室は、織田信包の娘
継室は、小出吉政の娘
子は、 忠弘ほか、清道、牟利、梅子、通子、犬子、韋子、萬子

 

 

4人の子どもについてご紹介しましたが、奥平信昌はたくさん子孫を残していますね。

 

加納奥平は3代で絶えますが、宇都宮奥平は、家昌→忠昌→昌能→昌章と続き、昌成のときに豊前国中津10万石の大名として迎えられています。

また藩主はその後も続き、最後の藩主となった昌邁は華族令の施行によって、明治17年伯爵に任ぜられました。

大分県中津市にある奥平神社では、毎年奥平家の子孫が、奥平信昌の信昌の長篠籠城を偲び、「たにし祭」を行っているとのことです。

 

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どうする家康「奥平信昌」役は白洲迅!

どうする家康「奥平信昌」役は白洲迅!

さて、どうする家康で、亀姫が嫁ぐ「奥平信昌」を演じるのは白洲迅さん

上の扮装写真もかっこいいですね!

イメージ的にはぴったりといったところでしょうか。

 

白洲迅さんは、1992年生まれ、東京出身の俳優、モデル。

『第22回ジュノンスーパーボーイコンテスト』でベスト30に残ったことをきっかけに芸能界入りしました。

 

大河ドラマは初出演ということで、楽しみです!

若いけれど、家臣思いの心優しき当主ということで、當真あみさん演じる亀姫ともお似合いの夫婦になりそうですね。

 

どうする家康第21話のネタバレとあらすじはこちら

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