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蔦屋重三郎の母親はどんな人?実の母・津与との関係|べらぼう深掘り

2025年の大河ドラマ『べらぼう』第26話では、これまで語られてこなかった主人公・蔦屋重三郎の“母親”がついに登場します。

幼くして母と離れ、激動の人生を歩んだ重三郎にとって、母・津与(つよ)はどんな存在だったのでしょうか?

今回は、

  • 蔦屋重三郎の母・津与とはどんな人物なのか
  • 離れても続いた母子の絆とは?
  • 津与を演じる高岡早紀さんの見どころ

などをご紹介します。

 

蔦屋重三郎の実の母親はどんな人?

2025年の大河ドラマ『べらぼう』第26話では、蔦屋重三郎の“実の母”が物語に登場します。

出版界を動かした人物の出自にどんなドラマがあったのか、注目が集まる中、その母・津与(つよ)の人物像にも関心が高まっています。

津与の素顔を伝える記録として知られているのが、狂歌師・石川雅望が記した「喜多川柯理墓碣銘」と、戯作者・大田南畝による「実母顕彰の碑文」

蔦屋重三郎の母親についてわかる史料

蔦屋重三郎の菩提寺 正法寺(台東区)内

これをもとに、蔦屋重三郎の母親がどんな女性だったのかを探ってみましょう。

 

蔦屋重三郎の母・津与とは?

重三郎の母・津与は、「広瀬氏」と呼ばれる家に生まれ、江戸の地で育ったとされています。夫となった重助は、尾張国(現在の愛知県)出身の人物で、何らかの事情で江戸に出てきたと考えられます。

ふたりのあいだに生まれたのが、後の蔦屋重三郎。

本名は「柯理(からまる)」で、通称として「重三郎」と呼ばれていました。この「重」の字は、父・重助の名前から一文字もらったものだと見られています。

重三郎が生まれた場所は「江戸吉原の里」。

華やかな遊郭の文化が栄えていた場所でもあり、重三郎の両親が吉原に関係する仕事をしていた可能性も否定できません。

少年時代に訪れた母との別れ

重三郎の幼少期に、家族に大きな変化が訪れます。

父母は離縁し、母・津与は幼い息子を残して家を出ていきました。理由については記録されておらず、詳細は不明のままです。

ただ、重三郎自身は「母と離れたのは7歳のときだった」と後年に語っており、その出来事が彼の心に深く残っていたことがうかがえます。

たった7年の関わりだったとしても、母親の存在は忘れられるものではなかったのでしょう。

「耕書堂の母」と記された足跡

蔦屋重三郎の母・津与の名前は、大田南畝が手がけた「実母顕彰の碑文」にも登場します。

碑文の中で、「書肆耕書堂の母」と記されています。

母親の存在がそうして明記され、後世に伝えられていること自体が、重三郎にとって母がどれほど大切な存在であったかを物語っていますよね。幼い頃は離れて暮らしても、その絆は決して消えなかった―そんな印象を与えてくれます。

⇒ 蔦屋重三郎の家系図|子孫の現在は?跡継ぎも調査

 

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蔦屋重三郎と母親の関係

母・津与と離れたのは、重三郎がわずか7歳のとき。けれど、そこで親子の縁が切れたわけではありません

成長するにつれ、彼の中で“母の存在”はむしろ鮮やかに残り続け、やがて一つの形として結実することになります。

ここでは、津与への想いが表れた史料や行動をもとに、重三郎と母の関係性を見ていきましょう。

顕彰碑に託した、息子としての感謝

母・津与がこの世を去ったのは寛政4年(1792年)のこと。
その訃報を受けた重三郎は、古くからの友人である大田南畝に依頼し、母のための顕彰碑文を記してもらいました。これが「実母顕彰の碑文」です。

碑文の中で南畝は、重三郎のまっすぐな生き方は、幼いころに母から授かった教え――いわば“遺教”によるものではないかと記しています。
母と過ごした7年間が、後の人生を支える芯になっていたということが、そこから読み取れます。

「実母顕彰の碑文」

戯作者・大田南畝(1749–1823)が蔦屋重三郎の母・津与のために刻んだ碑文です。
そこには、重三郎が7歳で母と別れた経緯や、幼い頃の教えが今も彼を導いているという思いがつづられています。また、大人になって墓前に立ったあとの「片言の言葉で母の労を報いたい」という彼の切実な想いも記されており、親子の深い絆と敬意が浮かび上がります。

 

墓碑に残した、母への敬愛の証

津与の名は、重三郎の墓碑銘「喜多川柯理墓碣銘」にも登場しています。

そこでは「耕書堂の母」としてその存在が明記されており、重三郎が母に深い敬意を抱いていたことが伝わってきます。

興味深いのは、母のための碑文は残されている一方で、父・重助についてはそのような記録が残っていないこと。

もちろん、父をないがしろにしたわけではありません。それでも重三郎の心のなかで、母という存在がいかに特別だったかがうかがえます。

「喜多川柯理墓碣銘」

狂歌師・石川雅望(1754–1830)が執筆した墓碑銘で、重三郎(柯理)の出生や性格、人柄について記されています。
その中で雅望は、重三郎の志の強さや人への誠実さを讃え、死を悲痛な気持ちで受け止めているさまが描かれており、当時の二人の友情と信頼関係の深さが伝わってきます。

成長してから迎えた“親との再会”

蔦屋重三郎が両親と再び関わるのは、彼が大人になってからのこと。

天明3年(1783年)、重三郎は江戸・通油町に新居を構え、そこへ父母を迎えてともに暮らし始めます。

「後移居油街、乃迎父母奉養(のちに油街に移り、すなわち父母を迎えて奉養す)」という墓碑の一節が、その事実を静かに物語っています。

母・津与は寛政4年(1792)10月26日に、病気で亡くなりました。母親との暮らしは10年足らずだったようです、

幼いころに引き裂かれた家族との暮らしを、自らの手で取り戻した重三郎。その姿には、親を思う真心と、自立した息子としてのやさしさがにじんでいますね。

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べらぼう蔦屋重三郎の母親役は高岡早紀

大河ドラマ『べらぼう』第26話で、重三郎の母・津与がいよいよ物語に登場します。

演じるのは、艶やかな存在感と確かな演技力で知られる女優・高岡早紀さん

長年にわたり第一線で活躍し続ける彼女が、物語のキーパーソンともいえる“実母”役をどう演じるのか、注目が集まっています。

経験豊かな演技派女優・高岡早紀

べらぼうキャスト高岡早紀

高岡早紀さんは、神奈川県出身の女優・歌手。

1980年代にデビューし、1994年の映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』では日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。以降も数々の映画やドラマ、舞台に出演し、妖艶さと母性を自在に行き来する稀有な演技力で多くの作品に深みを与えてきました。

ここ数年も『リカ』シリーズや話題の舞台などでその存在感を発揮。

成熟した女性像から、狂気をはらんだキャラクターまでこなす幅の広さは圧巻です。今回の津与役は、大河ドラマとしては3度目の出演となります。

“蔦屋重三郎の母”をどう演じる?注目の津与像

高岡さんが演じる津与は、7歳の重三郎と別れて以降、髪結いとして生きてきた江戸の女性。

口がうまく、愛され上手な“人たらし”として描かれる津与は、重三郎の人生に再び現れることで、新たな波紋を呼ぶ存在となりそうです。

高岡さん自身も

 “この親にして、この子あり” と納得していただけるように、流星さんが作り上げた蔦重を、更に深みが増すように演じられたらと思います。

出典:美術展ナビ

とコメントしており、母と子の再会シーンにはしっとりとした緊張感と、どこかあたたかい空気が漂いそうです。

 

以上、今回は蔦屋重三郎の母・津与の人物像と、ふたりの親子関係、そして津与役を演じる高岡早紀さんについてご紹介しました。

『べらぼう』は、江戸の出版界を舞台に、重三郎という人物の人生を濃密に描く作品ですが、第26話では“母との再会”という大きな転機が訪れます。

高岡早紀さんの登場によって、物語がどのように動き、重三郎の心にどんな変化が生まれるのか――今後の展開にもますます目が離せませんね。

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