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浅間山噴火の歴史とは?江戸時代の大災害とべらぼうで描かれる天明の悲劇

浅間山噴火――それは江戸時代の人々にとって、まさに天地が裂けるような大災害でした。

2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』第25話では、天明の大噴火が描かれます。

この記事では、

  • 江戸時代、天明の大噴火の概要
  • 被害の実態や「生き埋め」の悲劇
  • 江戸時代から現在までの浅間山噴火の歴史

などについてお伝えします。

 

江戸時代の浅間山噴火とは?|『べらぼう』で描かれる天明の大噴火

天明3年(1783年)、江戸の空をも覆うかのような壮絶な自然災害が発生しました。

その名も、浅間山の大噴火。NHK大河ドラマ『べらぼう』でも描かれるこの歴史的事件は、江戸時代の人々にとってまさに“空からの裁き”とも言える衝撃だったのです。

では、その噴火はいつ、どのように起こり、どれほどの被害をもたらしたのか?

歴史の記録をたどりながら、当時の日本列島が直面した“火の試練”をひもといていきましょう。

噴火が起こったのはいつ?

浅間山の噴火が始まったのは天明3年(1783年)旧暦4月9日、新暦で言えば5月9日ごろ。

そこから数ヶ月にわたり活動は続き、最も凄まじかったのは7月7日夜から翌朝にかけて。まさに七夕の夜、空は星どころか、火山灰と赤い閃光に包まれました。

その爆発は15時間以上にわたって続き、地響きとともに火山灰が成層圏にまで立ち上る、想像するだけでも背筋が寒くなるスケールです。

噴火の規模と特徴は?|火山灰や爆発の影響

今回の噴火は、火山学でいうプリニー式噴火。大規模な爆発を伴い、VEI(火山爆発指数)4という強烈なランクに分類されます。

噴煙はまっすぐ空へ、軽石は雨のように降り注ぎ、火山灰は風に乗って関東全域へと広がっていきました。

関東平野、さらには東北の一部にまで火山灰が届いた記録もあり、空は昼でも薄暗く、まるで終末のような雰囲気だったとも伝えられています。

被害の中心はどこだった?生き埋めになった村々

もっとも壊滅的な被害を受けたのが、現在の群馬県嬬恋村にあった「鎌原村(かんばらむら)」です。

火砕流と泥流が一気に村を襲い、なんと約477〜600人が犠牲になったといわれています。

観音堂の階段を登ったたった数十人だけが助かったという話から、「日本のポンペイ」とも呼ばれるほどの惨事に。

また、火砕流は吾妻川沿いに広がり、長野原や川島などの村々も巻き込み、最終的な死者数は1,500人を超えたと推定されます。

流れ出た溶岩は冷えて固まり、今も「鬼押出し溶岩」としてその爪痕を残しています。

江戸の町はどうだった?灰色に染まる日常

では、浅間山から遠く離れた江戸の町では、何が起こっていたのでしょうか?

実はこの天明の大噴火、江戸市中にも影響を及ぼしていたのです。

まず人々の目に映ったのは、突然空から舞い降りる黒い灰。屋根や庭先に積もるそれは、農村地帯では田畑を覆い尽くし、江戸の町では昼間でもあたりを薄暗くしました。

なかには「障子がざわざわと震え、空気が焦げたような匂いがした」と書き残す者もおり、火山の脅威をまざまざと感じさせられた瞬間だったのでしょう。

情報の伝達手段が限られていた時代、浅間山の状況は断片的な書状や口伝えで伝わり、「川が毒に染まった」「灰に火がついて落ちてきた」といった風評が江戸の庶民を不安に陥れました。

さらにこの時期、すでに食料不足が続いていたこともあり、浅間山の噴火は天明の飢饉をさらに悪化させる要因ともなっていきます。

 

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天明の浅間山噴火がもたらした被害と悲劇

天明3年(1783年)に浅間山が大噴火し、その影響は上州・信州から幕府の統治政策を揺るがすほどに広がりました。ここでは、地方を襲った災害の全貌、生々しい「生き埋め」の記録、そして天明の飢饉との関連性をお伝えします。

上州・信州を襲った災害の全貌

天明3年4月から始まった浅間山の噴火は、7月6日から8日の大爆発でクライマックスを迎え、信州の軽井沢や上州側87村が壊滅的被害に見舞われました。
火砕流や土石流は吾妻川・利根川を下り、川沿いの集落を襲撃。公式記録によると、死者数は約1,500〜1,600人に及んだとされています。

群馬県鎌原村では、597人中約466人が犠牲になるという凄まじい惨状となり、地元では「日本のポンペイ」と呼ばれるほど。

 鎌原村を襲った生き埋めの惨劇とその記録

鎌原村は特に深刻で、火砕流と土石流が村を一瞬で飲み込みました。観音堂へ逃げ込んだ数十名だけが命拾いし、ほとんどの住民は「生き埋め」に――その悲劇は後世にも語り継がれています。

また、泥流が木片や家屋を巻き込みながら川を下り、前橋〜江戸川にまで達したと記録されており、漂流物や腐敗物が被害の深刻さを物語っています。

 飢饉との関係|天明の飢饉との連鎖

浅間山の噴火は、すでに発生していた天明の大飢饉(1782~1788年)をさらに悪化させました。火山灰が関東から東北まで広範に降り積もり、作物の光合成を妨げたためです。

この灰は利根川本流に泥流として流出し、さらに天明6年の水害などの二次被害を引き起こしました。結果、国内の多くで食糧不足が深刻化し、農村を中心に数十万単位の餓死や疫病被害が連鎖的に発生しました。

 

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浅間山は最近も噴火してる?江戸時代から現在までの噴火の歴史

浅間山は有史以来、たびたび噴火を繰り返してきました。ここでは、1783年の天明大噴火以降、明治〜令和までの主な噴火記録を概観します。

●江戸時代 1783年(天明3年)

– 天明大噴火:5月から活動開始し、8月4日〜5日にクライマックス。火砕流・土石流・降灰により、約1,500人以上の死者を出しました。

● 明治時代〜大正初期(1900〜1915年ごろ)

– 1901–1915年:山頂火口の小〜中規模噴火が頻発し、降灰や爆発音が関東一円に届いています。特に1902〜1908年は複数回の噴火が記録されています。

● 昭和期の大噴火(1938〜1958年)

– 1938年:6月7日、火山爆発指数VEI約1.3、噴煙8,200 mに到達。
– 1947年:8月14日、噴煙12,000 m、大音響と噴石による11人の死者。
– 1950年:9月23日、噴煙6,000 m、登山者1死亡、関東一帯に降灰。
– 1958年:11月10日、噴煙7,000–8,000 m、東北から関西に降灰。

● 小規模噴火・活動(1973~2009年)

– 1973年:2月1日~5月24日、計87回の小規模噴火と火山性地震。
– 1982年~83年:1982年4月26日と翌年4月8日に爆発、1983年は降灰が福島太平洋側まで到達。
– 2004年:9月1日にヴルカニア式噴火、以降同年中に数回中規模噴火あり。
– 2008年:8月10日、小規模噴火。
– 2009年:2月2日、噴煙2km・降灰が東京にまで到達。

– 2015年:6月16日と19日に小規模噴火、東北まで僅かな降灰。
– 2019年:8月7日・25日、小規模噴火。噴火警戒レベル3が発令され、入山規制も実施。


浅間山の噴火は天明の大噴火だけで終わらず、明治以降も頻繁に続いています。
特に20世紀後半から21世紀にかけては、定期的な小〜中規模の噴火が発生し、現在も監視体制が続いている活火山です

 

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浅間山噴火は江戸時代の田沼政権を揺るがせた?

天明3年(1783年)の浅間山大噴火――それは単なる自然災害にとどまらず、当時の政権運営にまで影を落とす出来事でした。

噴火による甚大な被害は、民衆の生活を直撃し、のちに“天明の飢饉”が広がっていく背景ともなります。そしてそのとき政権の中枢にいたのが、かの田沼意次でした。

被災と飢饉が田沼批判を加速させた?

浅間山の噴火と前後して、全国的な冷害や不作が続き、天明の大飢饉へと突入します。

飢えた農民たちによる打ちこわしや暴動(天明の打ちこわし)が各地で起きると、「奢侈を奨励した田沼が天の怒りを招いた」といった、迷信的な批判すら広がりました。

これは、田沼意次がそれまで進めていた重商主義政策に対し、儒教的な「倹約と徳政」の価値観を重視する層、とくに松平定信ら次の世代の政治家たちによる批判材料としても使われるようになります。

災害を機に広がる“田沼失脚”の空気

天明の飢饉のピークとともに、浅間山の影響で疲弊した社会に対し、幕府は有効な救済策を出せず、

町人や農民の間では「将軍と田沼は民の声を聞かない」という不満が徐々に蓄積されていきます。

そして天明7年(1787年)、意次は失脚。

この時期に起こった一連の災害や社会混乱が、“田沼から定信へ”という政権交代の下地をつくったことは、多くの歴史家が認めるところです。

自然災害が政治を変える“導火線”となった

浅間山噴火は、田沼政権にとって避けがたい外的要因でありながら、それまでの政治姿勢への批判を正当化する口実としても使われました。

つまり、自然の怒りが人心を離れさせ、政権を揺るがす「導火線」となったのです。

こうした背景を知ったうえで『べらぼう』を見ると、一つの噴火が江戸の町と政(まつりごと)にどう影響したのか、その奥行きまで味わえるかもしれません。

田沼意次は何した人?賄賂政治は本当?改革の内容や失脚の理由をわかりやすく解説!

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江戸時代の浅間山噴火は『べらぼう』でどう描かれる?

2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』では、第25話江戸時代を揺るがした浅間山の大噴火が描かれます。

江戸の町に灰が降り注ぎ、人々の生活が一変するなか、蔦屋重三郎もまた、混乱の渦に飛び込んでいきます。

大火に見舞われた吉原を再建しようとしていた矢先の自然災害――。

果たして蔦屋重三郎はこの状況をどう乗り越えるのか?そして、彼を取り巻く人々や町の空気はどう変わっていくのか?

物語の鍵を握るのは、江戸の商人たちの知恵と行動力、そして人と人とのつながりです。

浅間山の灰が降るなかで重三郎が見せる“ある行動”は、視聴者の胸を打つ名シーンになるかもしれません。

 

詳しい内容は、別記事
👉『べらぼう第25話のあらすじとネタバレ

にてご紹介しています。あわせてぜひご覧ください!

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