喜多川歌麿とその妻については、史実の中でも多くの謎が残されています。
大河ドラマ『べらぼう』では、歌麿の妻として「きよ」が登場し、物語を大きく彩る存在となります。実際の歌麿に妻はいたのか、そして「きよ」とは誰なのか、実在したのか――。
この記事では
- 喜多川歌麿の妻に関する史実
- 「きよ」という妻は実在したのか
- 喜多川千代女とは?
- 大河ドラマ『べらぼう』で妻を演じる藤間爽子さんの見どころ
についてお伝えします。
喜多川歌麿に妻はいたのか?史実から見る結婚の実態
美人画の巨匠・喜多川歌麿。
華やかな浮世絵の世界で名を残した一方、その私生活は謎に包まれています。
とりわけ「妻がいたのかどうか」という点は、史料に乏しく今なお不明確です。
ここでは、日本語の記録を中心に史実を追ってみましょう。
妻の存在は確実ではない
研究資料や解説では「結婚していた可能性はあるが、詳しいことは分かっていない」とされます。
つまり「喜多川歌麿には妻がいたらしい」という程度の伝わり方で、確実な裏付けは見つかっていません。
浅草・専光寺の過去帳に残る「理清信女」
一方で手がかりとなるのが、浅草・専光寺に残る過去帳の記録です。
寛政2年(1790年)8月26日、「理清信女(りせいしんにょ)」という女性が亡くなり、歌麿が葬儀を行ったことが記されています。
この「理清信女」をめぐっては、母とする説と妻とする説があり、研究者の間で解釈が分かれています。
ただ、喜多川歌麿が自ら弔った人物であることからも、きわめて近しい関係だったことは確かです。
子どもの記録は残っていない
喜多川歌麿に子どもがいたかどうかについても、はっきりした証拠はありません。
作品には親子を思わせる図が見られますが、本人の家庭を描いたと断定はできません。史料として子どもの存在を示す記録はなく、家庭生活の全貌は謎のままです。
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「きよ」と呼ばれる歌麿の妻は実在した?
歌麿の“妻”として語られる「きよ」。その人物像は、専光寺に残された一つの記録から浮かび上がります。
ここでは「名前の由来」と「歌麿にとっての存在の大きさ」という二つの視点で整理してみましょう。
理清信女=きよ(清子)?
浅草・専光寺の過去帳には、寛政2年(1790年)8月26日、「理清信女(りせいしんにょ)」という女性が亡くなったことが記されています。
この葬儀を取り仕切ったのが歌麿であり、それ以来、専光寺は歌麿の菩提寺となりました。
戒名の「理清」という字から俗名は「清(きよ)」や「清子」であったと考えられ、ここから“きよ”という呼び名が生まれたと推測されます。
つまり、『べらぼう』で描かれる「きよ」という名は、まったくの創作ではなく、史料に根ざした可能性があるのです。
歌麿にとっての特別な存在
「理清信女」が1790年に亡くなった事実は、歌麿にとって大きな節目でした。
葬儀を自ら執り行ったということは、彼女がもっとも近しい存在だったことを示しています。
さらに、その死をきっかけに専光寺を自らの菩提寺と定めたことからも、単なる知人ではなく、深く人生に関わった人物であったことがわかります。
こうした点を踏まえると、「理清信女=きよ」は歌麿にとって大切な伴侶であった可能性が高いと考えられているのです。
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再婚した?歌麿のもう一人の妻
最初の妻“きよ”を亡くした後も、歌麿は孤独な生活を続けたわけではありません。
文化3年(1806年)9月20日に亡くなるまでの間に、新たな伴侶を迎えていたと考えられています。
その根拠となるのが、喜多川歌麿の門人の小川市太郎(おがわ・いちたろう)の存在です。
歌麿の死後、市太郎は未亡人と結婚し、婿入りして二代目喜多川歌麿を名乗りました。
この経緯から、“きよ”の死後にも歌麿には別の妻がいたのでは?と考えられます。
とはいえ、二人の妻が重なって存在していたのか、それとも順番に結婚したのかは不明です。
もしかすると“きよ”が生きていた時期には近しい女性としてそばに置き、亡き後に正式に迎え入れたのかもしれません。
夫婦生活の実態や暮らしぶりについては記録が少なく、はっきりしたことは分かっていません。
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喜多川千代女と歌麿の関係とは?
また、喜多川歌麿の周辺には「千代女(ちよじょ)」と呼ばれた人物がいて、その関係には様々な説が交錯しています。
喜多川千代女は、歌麿の門人のひとりとして活動していた女性浮世絵師です。
天明4〜5年(1784〜1785年)にかけて黄表紙の挿絵を数点残しており、「歌麿門人千代女」の署名も見られます。
その名の通り、師である歌麿の名乗りを許されていたことから、絵師としてだけでなく、精神的にも歌麿に近い存在だったと考えられます。

千代女は実在の女性だったのか、それとも歌麿自身の別名だったのか…。あるいはまったく別人の仮の名だったのか。
妻だったとする説も含めて、その正体は今も議論の的となっています。
ただ、彼女の存在が歌麿の系譜や名跡継承に関わっていたことは確かであり、歴史をつなぐ重要な鍵を握っていた人物といえるでしょう。
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『べらぼう』で歌麿の妻「きよ」を演じるのは藤間爽子
歴史の謎多き喜多川歌麿の妻・きよを、大河ドラマで演じるのは、藤間爽子さん。
日本舞踊の名門に育ちながら舞台やテレビでも活躍する彼女の魅力をご紹介します。
藤間爽子さんのプロフィール紹介
まず注目したいのは藤間爽子さんのバックグラウンドです。
東京都出身で、1994年8月3日生まれ。
日本舞踊・紫派藤間流の三代目家元としても活躍し、幼少期から祖母・初代藤間紫(藤間流の家元)の元で舞を学んだ才女です。
女優としては、2017年にNHK朝ドラ『ひよっこ』でデビューし、その後も舞台やドラマで経験を積んできました。
2021年には三代目藤間紫を襲名し、日本舞踊の家元としての責任を担う一方で、女優業も継続しています。
藤間爽子さんが「きよ」を演じる見どころ
今回、『べらぼう』で歌麿の妻・きよを演じるのは藤間爽子さんにとって初めての大河出演。
プレスリリースでは
「いつか大河に出演したいという私の夢が叶いました」
と喜びのコメントを寄せています。
「一人の女性として、強くべらぼうの世界で生き抜いてみせたい」
と意気込みも語られました。
ドラマの脚本では、きよは歌麿と出会い、妻となり、彼の画風にも影響を与える存在として描かれています。
激動の時代を共に生きるパートナーとして、物語に深みを与える重要な役どころです。

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