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徳川家基の死因は暗殺?種姫との関係やお墓の場所も解説|大河べらぼう深堀り

2025年の大河ドラマ『べらぼう』では、徳川10代将軍・家治の長男である徳川家基が登場し、話題を集めています。

将軍後継者として将来を期待されながらも、わずか21歳という若さでこの世を去った家基。
その死因は「病死」とされていますが、実は「暗殺説」もささやかれてきました。

この記事では、徳川家基の死因の真相を中心に、婚約者だった種姫との関係や、現在のお墓の場所などもあわせて解説します。

 

徳川家基とは?期待された若き将軍候補

「将軍になるはずだった男」。そんな運命を背負っていたのが、徳川家基です。
歴史に「もしも」は禁物と言いますが、もしこの人物が長生きしていたら、江戸の未来は変わっていたかもしれません。

家基は何者?将軍になるはずだった男

徳川家基

徳川家基(とくがわ いえもと)は、江戸幕府第10代将軍・徳川家治の長男として、1769年(明和6年)に生まれました。彼は、8代将軍・徳川吉宗から続く直系の血筋にあたり、将来の11代将軍として大いに期待されていました。

幼少期から家基は聡明で、文武両道に優れた才能を示していたと伝えられています。元服後は政治にも関心を持ち、当時の老中・田沼意次の政策に対して批判的な意見を述べるなど、積極的な姿勢を見せていました。

でも…将軍になる前に、わずか21歳という若さで急死してしまいます。

そのショックは大きく、後継者問題も一気に不透明に。歴史は思いどおりには進まないものですね。

 

父・徳川家治との関係と将軍継承の背景

べらぼう10代将軍徳川家治

父親の家治は、幕府の中でも安定期を築いた名将軍のひとり。将軍としての在位期間は約20年と長く、治世は比較的安定していたと評価されています。また、学問や文化を大切にし、穏やかな性格だったと言われています。

政治的な決断を強く主導したタイプではありませんが、芸術や書道、和歌に関心をもち、大奥や公家文化にも理解が深かった人物です。

そんな家治が「家基にすべてを託したい」と考えていたのは確実でしょう。

家治と家基の関係についての詳しい記録は少ないですが、家治は家基をとても可愛がっていたと言われています。家基が幼いころから優れた素質を見せていたこともあり、「自分の後を継がせる」という期待を強く抱いていたと考えられています。

しかし、家基の突然の死によって、その希望は叶いませんでした。

人生はいつも計算通りにはいかない。家基が亡くなったことで、将軍の座は別の家系――一橋家の徳川家斉に移ってしまうのです。
この「まさか」の連続が、のちの幕府にも大きく影響を与えていくことに。

家治は息子の死から1年後、1779年に亡くなり、その心労が影響したのではないかという説もあります。

 

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 徳川家基の死因は病気?それとも暗殺?

江戸幕府の将軍候補として将来を期待されていた徳川家基。しかし、突然の死を迎えたことで「病死なのか、それとも暗殺か?」というミステリアスな噂が江戸の町に広まりました。

突然の体調不良と急死

徳川家基の突然の死――それは本当に“急すぎる出来事”でした。

1779年(安永8年)2月21日、家基は父・家治からの命令で鷹狩りに出かけていました。これは将軍家の男子にとっては「大人の儀式」のようなもので、政治的な意味も大きかった行事です。

その日の帰り道、家基一行は現在の品川にあたる東海寺(とうかいじ)に立ち寄ります。ここで休憩をしていた最中、家基は急に腹痛を訴えたのです。

「腹が痛い…」

突如として体調が悪化し、様子がおかしくなった家基は、慌てて江戸城西の丸へ戻されます。

医師による治療が行われましたが、状態は回復することなく、わずか3日後の2月24日未明に死去。享年18(数え年)でした。

このとき、病名ははっきりと記録されておらず、「病死」とだけ伝えられました。

しかも、それまで健康体だった家基が突然亡くなったこと、そして鷹狩りという“儀式”の最中だったことから、幕府内外に大きな衝撃が走ります。

一部では「食あたりではないか」「急性の腹痛(例えば盲腸など)か」などの声もありましたが、詳しい検死も行われなかったため、死因はうやむやのまま。

こうした不自然さが、“暗殺説”や“毒殺説”を呼ぶ大きなきっかけとなったのです。

 

急死が引き起こした暗殺の噂

当時、幕府内では次期将軍をめぐる権力争いが激化していました。
家基が亡くなれば、将軍の座を別の家系(=一橋家)に移すことができる――そんな政治的な思惑があったとも言われています。

  • 「田沼意次が毒を盛った」
  • 「一橋治済が仕組んだ陰謀だった」

などの説が、江戸の庶民たちの間でもささやかれるようになりました。

 

『べらぼう』で描かれる“手袋”の真相は?

(※一部ネタバレあります)

(クリックして読む)

 

大河ドラマ『べらぼう』では、家基の死をめぐる謎が重要なストーリーのひとつになっています。
その中でも注目されているのが、「毒を仕込んだ手袋」という小道具の存在。

この設定はフィクションと思われますが、田沼意次から種姫、種姫から家基に渡ったとされる手袋の謎の真相を追求するという、ドラマチックな効果は抜群。ただの病死ではなく、陰謀があったのでは…という疑念を視聴者に抱かせる仕掛けとして、とても巧みに使われています。

実際の史料には、毒入り手袋に関する記述は一切ありません

けれど、「鷹狩りの最中に体調を崩す→急死→政治的混乱」という流れが史実にあるため、そこに創作を織り交ぜるのは、大河ドラマならではの演出と言えるでしょう。

『べらぼう』では、歴史的に残された“空白”の部分に創作を加えることで、ミステリーとしての面白さを増しています。

手袋の毒という設定は、視聴者に「本当に毒殺だったのかも?」と思わせる絶妙なトリックですね。大河ドラマべらぼうでは第15話でストーリーが展開されます。

⇒ べらぼう|第15話のあらすじとネタバレ

 

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家基の婚約者・種姫とは?

徳川家基の人生を語るうえで欠かせない人物が、種姫(たねひめ)です。
将軍家の後継者と結ばれるはずだった一人の姫君――彼女の存在が、物語をより奥深くしています。

種姫はどんな女性だったのか

べらぼう種姫

種姫は、田安徳川家の当主・徳川宗武(むねたけ)の娘として誕生しました。田安家は、将軍家の血を引く「御三卿(ごさんきょう)」のひとつで、非常に格式ある家柄です。

11歳のとき、種姫は将軍・家治の養女となり、江戸城に迎えられました。これは単なる縁組ではなく、将来の政治的な布石でもあったと考えられています。

若くして礼儀作法を学び、聡明で落ち着いた気品のある姫君だったと伝えられています。

⇒ 徳川御三卿とは?家系図で解説!田安・一橋・清水家の役割と序列

 

家基との婚約とその後の運命

史料によると、家基と種姫の間には正式な婚約の儀は確認されていません。けれど、当時の状況から見るに、将来を見据えた縁談が進んでいたのはほぼ間違いないといわれています。

二人の年齢も近く、政略的にも申し分のない組み合わせ。
しかし、家基の突然の死により、その将来は儚くも閉ざされてしまいます。

その後、種姫はしばらく江戸にとどまり、18歳のときに紀州徳川家の嫡男・岩千代(のちの徳川治宝)と婚約
そして23歳で紀州へと輿入れし、幕末に至るまで長く生きたと記録されています。

家基と種姫、ふたりの交わらなかった未来に思いを馳せると、歴史の切なさがいっそう胸に迫ってきますね。

 

種姫と徳川家との深い繋がり

種姫は、家基と直接結ばれることはありませんでしたが、将軍家の養女という立場から、徳川宗家と御三卿をつなぐ“橋渡し役”とも言える存在でした。
また、夫となった治宝も徳川御三家の一角・紀州家の当主であり、彼女はその後も徳川家の中心的存在として大切に扱われました。

ちなみに、現在放送中の大河ドラマ『べらぼう』でも、種姫は重要なポジションに位置づけられています。
物語の核心に関わる描写があるようなので、これからどんな展開になるのか、楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。

 

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家基のお墓はどこにある?ゆかりの地を訪ねて

徳川家基(とくがわ いえもと)は、将軍職に就くことなく若くして亡くなりましたが、その墓所はどこにあるのでしょうか?
また、現在の様子や関連する場所についてもご紹介します。

家基の墓所とその特徴

家基の墓は、東京都台東区上野桜木にある寛永寺(かんえいじ)内の円頓院(えんとんいん)にあります。

寛永寺は、江戸幕府歴代将軍の菩提寺として知られ、4代将軍・家綱(いえつな)や5代将軍・綱吉(つなよし)など、多くの将軍がここに眠っています。

家基の墓は、他の将軍たちと同じように宝塔(ほうとう)と呼ばれる塔の形をした墓石で造られています。特に、5代将軍・綱吉の霊廟区域に位置し、石垣越しにその立派な宝塔の一部を見ることができます。

寛永寺の将軍家墓所は、通常一般公開されておらず、特別な日以外は直接墓地に入ることはできません。 墓所周辺は静寂な雰囲気が漂い、歴史の重みを感じさせる場所となっています。

家基ゆかりの地と大河ドラマロケ地の可能性

家基に関連する場所としては、彼が急逝した東海寺(とうかいじ)があります。東海寺は東京都品川区に位置し、家基が鷹狩りの帰りに立ち寄った際、体調を崩した場所として知られています。また、家基が生まれ育った江戸城(現在の皇居)も、彼のゆかりの地と言えるでしょう。

2025年の大河ドラマ『べらぼう』では、これらの歴史的な場所がロケ地として使用される可能性も考えられます。ドラマを通じて、家基の足跡を辿る旅に出てみるのも興味深いかもしれません。


以上、今回は徳川家基の死因や墓所、種姫との関係についてご紹介しました。

将軍になるはずだった若き家基の急死は、今もなお謎に包まれた歴史の一幕。
大河ドラマ『べらぼう』では、この出来事が物語の鍵のひとつとして描かれており、視聴者の注目を集めそうですね。

史実を知ることで、ドラマの背景がより深く味わえるはず。
家基の足跡や、彼を取り巻く人々の思いにふれながら、『べらぼう』の世界をもっと楽しんでみてくださいね。

 

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