NHK大河ドラマ『べらぼう』に、ついに妖怪絵師・鳥山石燕が登場します。
演じるのは、俳優・画家としても知られる片岡鶴太郎さんですが、鳥山石燕とはどんな人物だったのでしょうか?
この記事では、
- 鳥山石燕とはどんな人物か
- 喜多川歌麿との関係は本当に師弟だったのか?
- 石燕の弟子や門人たちの一覧
- 『べらぼう』での片岡鶴太郎さんの役どころと見どころ
について、ご紹介します。
鳥山石燕とは?浮世絵界で“妖怪”を描いた先駆者
江戸時代中期に活躍した絵師・鳥山石燕(とりやま せきえん)は、“妖怪を絵で描いた先駆者”として知られています。
いわば、日本の妖怪ビジュアル文化を切り拓いた第一人者。その名前は、今なお国内外の妖怪ファンから熱い注目を集めています。
狩野派の教えを受けた町絵師
鳥山石燕は1712年、江戸で生まれました。本名は佐野豊房(さの とよふさ)。
武士の家系に生まれながらも、若い頃に絵の道へ。日本画の大家・狩野派に学び、狩野玉燕や狩野周信のもとで画技を磨きました。
町人文化のなかで活動しつつも、その技術は折り紙付き。狩野派仕込みの端正な筆遣いは、のちの妖怪画にも大きな影響を与えることになります。
『画図百鬼夜行』の刊行が転機に
石燕が名を広めたのは、安永5年(1776年)に出版された『画図百鬼夜行』という一冊。
この本は、当時の妖怪・怪異をイラスト付きで紹介したもので、まさに“絵入り妖怪辞典”と呼ぶべき存在です。
しかも、ただ怖いだけじゃない。どこかユーモラスで、ちょっと不気味だけど、思わず見入ってしまう――そんな絶妙なバランスで描かれた妖怪たちが人気を呼びました。
その後も石燕は
- 『今昔百鬼拾遺』
- 『百器徒然袋』
などを次々と発表。合計4冊におよぶこのシリーズで、200体以上の妖怪を世に送り出しています。
妖怪を「文化」に押し上げた立役者
石燕が描いた妖怪は、単なる想像ではなく、古い文献や民間伝承をもとに考証されたものが多くあります。それを独自の感性でアレンジし、目に見えるかたちにした――その功績は計り知れません。
しかも、石燕の妖怪画には遊び心がたっぷり。たとえば、妖怪にちょんまげを結わせたり、着物を着せたりと、どこか人間くささを感じさせるタッチも特徴のひとつです。
このスタイルは後に、水木しげるや京極夏彦らにも多大な影響を与え、「現代の妖怪表現の原型」として高く評価されています。
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鳥山石燕と喜多川歌麿の関係は?
大河ドラマ『べらぼう』第30話は、喜多川歌麿にフォーカスされる回。鳥山石燕も登場します。
では、実際のふたりの関係はどうだったのでしょうか?
ここでは、「歌麿は鳥山石燕の弟子だった」という説の出どころと、それに対する歴史的な根拠や異論、そしてドラマとの違いを整理してご紹介します。
鳥山石燕と喜多川歌麿は師弟関係?
石燕の門下に、喜多川歌麿の名前が挙げられることがあります。恋川春町や歌川豊春と並び、江戸後期の浮世絵師たちのなかで「石燕門下」と見なされることがあるのです。
また、石燕が歌麿の幼少期の姿を俳書に登場させていたという逸話もあり、早くから面識があったとする見方も存在します。
こうした点から、「歌麿は石燕の弟子だった」という説が流布するようになったと考えられます。
とはいえ、こうした説は後世の伝承や解釈に基づいたもので、確かな裏付けがあるわけではありません。
史料上の根拠と限界
史実において、歌麿の師としてもっとも信頼されているのは、北尾重政(きたお しげまさ)です。
江戸の画人伝『古画備考』には、
「歌麿ハ北尾重政ノ門人ナリ」
と記されており、公式な師弟関係はあくまで重政との間にあったことがわかります。
一方で同書では、石燕について「歌麿は弟子同前也(=弟子に準ずる者のようだった)」という表現も使われており、完全な赤の他人ではなかったことも示唆されています。
つまり、石燕が歌麿に絵の指導をした可能性はあるものの、形式的な弟子入りではなかった――という解釈が主流です。
『べらぼう』で描かれる“石燕と歌麿の関係”
『べらぼう』では、歌麿(唐丸)が石燕のもとで絵の才能を育てられていく描写がなされると見られます。これは、ふたりの関係にフィクションならではの味わいを加えた演出といえるでしょう。
実際のところ、歌麿の画風は石燕の妖怪画とは大きく異なり、美人画を極めた独自路線を歩んでいきます。
そのため、作風の点から見ても、石燕が“主たる師”だったとは言いづらい部分があります。
ただし、江戸の絵師たちは複数の師から影響を受けるのが当たり前でした。歌麿にとって、石燕は“教えを受けたことのある人”であり、後の創作人生に何らかの刺激を与えた人物だったのかもしれません。
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鳥山石燕の弟子は?一覧で紹介
石燕が残した影響は、妖怪絵だけでなく、弟子たちの活躍にも大きく広がりました。ここでは石燕の弟子と考えられる人物についてご紹介します。
弟子とされる人物たち(代表例)
実際に「弟子」として名前が挙がる絵師には、以下のような著名な人物が含まれています。
- 喜多川歌麿
- 恋川春町
- 歌川豊春
- 栄松斎長喜
など。
特に歌麿と恋川春町は、江戸後期に一躍名を成した美人画家・戯作者として知られ、石燕の門流(石燕派)に数えられる存在です。
石燕派としての門流・系統に関わる絵師たち
“石燕派”という呼び名には、単なる弟子だけでなく、石燕の影響を受けた絵師たちも含まれます。
この流派から派生していった主要な路線として、たとえば:
- 歌川派を起こした歌川豊春(工夫した遠近表現の導入)
- 喜多川派に繋がる歌麿の美人画路線
こうした絵師たちは、浮世絵界における新しい潮流を生み出しました。
狩野派との関係と後世への影響
石燕自身は狩野派門人として狩野周信や玉燕に学びましたが、その狩野派に培われた技術と俳諧や教養が、弟子たちにも大きな影響を与えています。
たとえば、細密な筆致や構図構成、そして文化的教養を活かした作風は、弟子たちが絵師として成長する際の土台となりました。
その結果、石燕派→北尾派・歌川派・喜多川派へと一連の流れが生まれ、江戸末期から明治にかけての浮世絵隆盛期に至るまで影響し続けたのです。
弟子一覧まとめ
絵師名 | 石燕との関係 | 主な活躍ジャンル |
---|---|---|
喜多川歌麿 | 石燕門下とされる場合が多い | 美人画の大家 |
恋川春町 | 石燕に学んだ絵師・戯作者 | 黄表紙・狂歌絵本など |
歌川豊春 | 系譜的に石燕派から派生 | 歌川派の開祖、風景画等 |
栄松斎長喜など他の弟子 | 門人や影響者として伝承される | 浮世絵師・文化人 |
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石燕と歌麿の絵の共通点と違い
ここでは鳥山石燕と喜多川歌麿の絵に見られる、共通点と作風の違いを分かりやすく整理しました。
絵のジャンルや表現方法に注目しつつ、互いの特徴を際立たせます。
共通点:教養と描写力に根ざす写実性
高い画技と教養の伝承
石燕は狩野派に学んだ確かな技法と俳諧などの教養を背景に持ち、歌麿も当初、石燕の版元周辺で修練を積んだとされます。
両者ともに、写実性と描写力をベースとして絵を描いていた点で共通しています。
影響の広がり
両者とも江戸文化に深く根ざし、作品を通じて当時の生活や人情、美意識を映し出しています。
石燕の妖怪図譜と、歌麿の美人画がそれぞれのジャンルで時代を代表しました。
作風の違い:妖怪画と美人画で見せる世界観の隔たり
主題の異質さ
石燕が描いたのは、妖怪・怪異など非日常の世界。代表作『画図百鬼夜行』ではかなりの数の妖怪を登場させ、人々の恐れと好奇心を同時に刺激しました。
対して歌麿は、美人画を中心に「内面の美」を表現。大首絵という形式で、女性の表情や仕草に焦点を当て、情感と細やかな美意識を追求しました。
技法と構図の違い
石燕は木版を中心に、ぼかしの技術や細密な線によって妖怪の質感や不気味さを出しました。版画で展開された図鑑型構成が特徴です。
一方、歌麿は、大判錦絵の多色摺りを活用し、顔半身を大きく表現する「大首絵」で感情を浮き立たせる構図を得意としました。
石燕と歌麿は、ともに高度な筆技と教養を備えながら、まったく異なる世界を描き出しました。
石燕が妖怪という異界に想像力を注いだ一方で、歌麿は女性の内面や美を繊細に表現。
描く対象も手法も対照的でしたが、それぞれが独自の視点で江戸文化の深みを広げ、多くの人々の心をとらえた存在だったのです。
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べらぼう鳥山石燕役は片岡鶴太郎
NHK大河ドラマ『べらぼう』で、妖怪絵師・鳥山石燕を演じるのは、芸人・俳優・画家という三つの顔を持つ名優、片岡鶴太郎さんです。その異色のキャリアは、まさに石燕という人物の不思議さと重なります。
多才すぎる芸能人・片岡鶴太郎のプロフィール
- 生年月日:1954年12月21日
- 出身地:東京都荒川区
- 芸歴:1973年デビュー(お笑いタレントとして活躍)
- 主な代表作:『異人たちとの夏』『ダウンタウンヒーローズ』など
- 受賞歴:第31回ブルーリボン賞助演男優賞 ほか
- その他の顔:画家・書家・ヨガ実践家・ナレーター
お笑いからスタートした片岡鶴太郎さんは、演技の世界でも頭角を現し、繊細な表現力で映画界からも高い評価を受けました。
近年は画家としての活動にも注力しており、自ら描いた作品で個展を開くなど、芸術家としても活躍中です。
『べらぼう』で演じる鳥山石燕とは?
片岡さんが演じる鳥山石燕は、重三郎や若き歌麿(唐丸)と関わりながら、妖怪絵を通じて江戸の“異界”を語る存在。
べらぼう第30話では、歌麿の才能に早くから目をつけ、その絵心を導く役どころとして描かれそうです。
片岡さん自身が絵筆をとる芸術家であることから、その所作や佇まいには自然と“絵師のリアリティ”がにじみ出ています。
妖しく、どこか達観した雰囲気をまとった石燕像は、まさに彼にしかできない表現でしょう。
見どころ|石燕と鶴太郎、二つの個性が重なるとき
芸人として培ったテンポの良さ、俳優としての深み、そして画家としての眼差し――それらすべてを内包した片岡鶴太郎という存在が、石燕というキャラクターに不思議な説得力を与えます。
単なる歴史上の人物ではなく、妖怪という“目に見えないもの”を描いた芸術家として、どこか世俗から離れた達人のような空気。片岡さんの生き方そのものが、石燕役に深みを与えているのです。
視聴者にとっては、「これはまさに片岡鶴太郎だからこそ」と感じる瞬間が随所に出てくるはず。放送が待ちきれませんね。
以上、鳥山石燕の人物像や歌麿との関係、弟子たちの系譜、そして『べらぼう』で石燕役を演じる片岡鶴太郎さんについてご紹介しました。
妖怪を芸術として描いた石燕の世界は、今なお多くの人を惹きつけています。ドラマをきっかけに、江戸の文化人たちのつながりや表現の奥深さにもぜひ注目してみてくださいね。
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