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一橋治済の子孫を家系図で解説!息子は11代将軍徳川家斉で慶喜との関係は?

江戸幕府の裏で暗躍し、「黒幕」と呼ばれた男、一橋治済(ひとつばしはるさだ)

治済は息子を将軍の座に就け、幕府を事実上支配した人物です。徳川家の血を操り、政治をも動かしたその手腕は、今も多くの謎と興味を呼びます。

この記事では、

  • 一橋治済とはどんな人物だったのか
  • どのように息子・家斉を将軍にしたのか
  • 治済の家系図が幕府の盛衰に与えた影響

についてお伝えします。

 

一橋治済とは?家系図に見るその正体

一橋治済は、江戸幕府の後期において強大な影響力を持った人物です。

将軍職に就かなかったにもかかわらず、息子を将軍に据えることで実権を握り、幕府の中枢を動かしました。

吉宗が作った「将軍予備軍」御三卿

御三卿の家系図

江戸時代中期、幕府の中興の祖と称される第8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)は、将軍家が万一、継嗣を欠いた場合に備えて、「御三卿(ごさんきょう)」という3つの予備の家を創設しました。

これが田安家、清水家、そして一橋家です。

一橋家は将軍家に次ぐ特別な家格を持ち、治済は、この吉宗の(吉宗の四男・宗尹の子)にあたります。つまり、治済は将宗家を継ぐ可能性を持つ、極めてエリートな血筋に生まれたのです。

 

 治済は四男!将軍実父のポジションを獲得

初代一橋家当主・宗尹(むねただ)の四男として1751年に生まれました一橋治済。長男ではありませんでしたが、13歳で父の死に伴い家督を継ぎ、一橋家の2代目当主となります。

治済の歴史上の最大の功績は、この御三卿という「将軍候補」の立場を利用して、自分の息子を将軍の座に送り込んだことです。これにより、治済は表向きは公的な最高職に就かずとも、将軍の実の父という、誰も逆らえない最強の権力を手に入れたのです。

治済の野望は、徳川宗家を自分の血で染め上げ、江戸幕府の権力を独占し、永続的に支配すること。

治済の築き上げた家系は、単なる家族の記録ではなく、江戸時代後期の幕府政治を根底から操るための、緻密で恐ろしい「戦略マップ」だったといえます。この戦略こそが、後の幕府政治に良くも悪くも決定的な影響を与えることになります。

 

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息子の戦略!11代将軍 徳川家斉の誕生と「黒幕」の暗躍

息子・家斉を将軍にすることで、「史上最強の父」となった一橋治済。その背後では、政治的な駆け引きと権力争いが繰り広げられていたのです。

田沼意次との秘密の取引!息子を宗家へ

べらぼう田沼意次

治済は、幼名「豊千代」(とよちよ)といった息子(家斉)を、時の将軍・徳川家治(いえはる)の養子に入れるという、最大の政治的成功を収めます。

この成功の裏には、当時の幕府の最高権力者であった老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)との強い連携がありました。

意次は、まだ若く政治経験の浅い豊千代(後の家斉)を将軍にすることで、自分の政治的な権勢を維持しやすいと計算したのです。また、家斉の母である於富之方が以前仕えていた大奥からの後押しも重要な要素でした。

11代将軍・徳川家斉が誕生!

1786年に家治が亡くなると、翌1787年、豊千代はわずか15歳で第11代将軍・徳川家斉として就任。この瞬間、治済はただの分家当主から、日本の最高権力者である将軍の実父へと大出世を果たします。

定信をも失脚させた「大御所問題」の黒幕

権勢を確立した治済は、さらに権威を高めるため、自分を「大御所」(隠居した将軍に与えられる尊称)にしようと画策しました。しかし、これに猛反対したのが、田沼意次の後に老中となった松平定信です。

定信は「大御所」の称号は隠居将軍以外には与えられないと主張し、治済の野望を阻みました。

この一件で治済は定信を憎み、息子である将軍家斉に働きかけて、わずか6年で定信を老中から解任させます。

治済は、田沼意次の協力で権力を握りながら、邪魔になった意次を失脚させ、さらに改革派の定信をも排除した、まさに「江戸の怪物」と称される裏の支配者だったのです 。

 

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一橋治済の子供や子孫は?

治済の権力は、息子・家斉が築いた膨大な子孫ネットワークによって全国へ広がっていきます。

治済の家系図

一橋治済の家系図

 

一橋治済の子どもは?

史料によって数には差がありますが、一橋治済にはおよそ6人前後の男子(女子も合わせると13人ほどの子供)がいたとされています。
その中でも最も知られているのが先ほどもご紹介した、第11代将軍・徳川家斉(いえなり)です。

徳川家斉を将軍の座に押し上げたことで、一橋治済は「将軍の父」として幕政に強い影響力を持つようになりました。

そのほかの子どもたちも、それぞれが幕府や大名家の中で重要な役割を果たしています。

  • 徳川斉匡(なりまさ) … 田安徳川家第3代当主。御三卿の一角を担いました。
  • 徳川斉敦(なりあつ) … 一橋徳川家第3代当主として、一橋治済の後を継ぎました。
  • 黒田斉隆(なりたか) … 福岡藩黒田家に養子入りし、外様大名との結びつきを築きました。
  • 松平義居(よしすえ) … 美濃・高須松平家に養子入りし、譜代大名家との関係を強化しました。
  • 徳川治国(はるくに) … 一時は世子(跡継ぎ)とされましたが、若くして亡くなったと伝えられています。

このように、一橋治済の子どもたちはそれぞれが政治的な使命を担い、将軍家を中心とする徳川家の体制を、より強固なものにしていきました。

家斉の子供は53人!

一橋治済の血統が拡大した最大の要因は、息子である家斉が驚くほど多くの子どもをもうけたことです。

家斉は、側室を16人持ち、記録上、53人(死産を入れると60人近く)もの子どもがいたと伝わっています。これは歴代将軍でダントツの多さです。

しかし、生まれた子どもの多くは早世し、成人(または嫁入り・養子入り)できたのは15男12女、計27人でした。この膨大な子孫を全国に送り込むことで、治済の血縁支配が実現しました。

治済の子孫は全国へ

家斉は、治済の孫にあたる息子たちを、単に結婚させるのではなく、戦略的に全国の重要拠点へ送り込みました。

  • 最強の大名家を味方に!:娘の溶姫(ようひめ)は、日本で一番大きな領地を持つ外様大名の加賀藩(前田家)へ嫁ぎ、幕府と外様大名との間で血縁的な強い絆を築きました。
  • 雄藩への浸透!:他にも、雄藩として知られる薩摩藩の島津家など、幕府に反抗しそうな大きな藩にを嫁がせ、血縁の力で支配網を築きました。
  • 徳川一門の独占息子たちは、御三家(尾張家、紀州家)や御三卿(田安家、清水家)の当主として次々と養子に送り込まれました。これにより、将軍家を継ぐ可能性のあるすべての家が、治済の血統によって完全に支配下に置かれました。

 3代連続将軍に

さらにすごいのは、家斉の息子である徳川家慶(いえよし)が第12代将軍に、その息子の家定(いえさだ)が第13代将軍になったことです。

これにより、一橋治済(ひとつばしはるさだ)の血統は、実に3代連続で将軍の座を独占することになったのです。

治済の血縁戦略は、約50年にわたる家斉の長期政権を支える最大の土台となりました。

 

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 治済の家系図が残した「光と影」

一橋治済

一橋治済が生み出した血縁支配は、幕府を強くも弱くもしました。

驕奢な生活と「三翁」のあだ名

将軍の実父として絶大な権力を握った治済は、その生活が非常に贅沢であったことで知られています。家斉の正室の父である島津重豪や、賄賂で巨財を築いたとされる中野清茂とともに、非常に派手な生活を送ったとして、当時の人から「三翁」の一人として呼ばれるほどでした。

治済の位は従一位、没後には太政大臣が追贈されるなど、まさに非公式ながら「最高権力者」として扱われました。

幕府の硬直化と衰退への影響

治済と家斉が築いた巨大な家系図子孫のネットワークは、一時期は幕府権威を盤石にしましたが、深刻な弊害を生みました。

能力よりも「将軍家の親戚かどうか」という血縁が優先され、政治を担う人材の質が低下。さらに、多くの大名家が幕府の血筋に支配されたことで、藩政の自由度が奪われ、幕府全体の硬直化腐敗を招き、後の幕府衰退の一因ともなりました。

最後の将軍・慶喜への影響と関係

幕府が倒れる直前の幕末、最後の将軍となる徳川慶喜(とくがわよしのぶ)もまた、一橋家の当主として将軍の候補になりました。

慶喜は、治済の直系の血筋ではありません。慶喜は御三家の一つ水戸徳川家の出身です。しかし、慶喜が大名として一歩を踏み出す際に、治済が権威を高めた「一橋家」を継ぐことになりました。

慶喜が将軍候補として力をつけたのは、一橋家が家斉と慶喜という2人の将軍を輩出した唯一の御三卿であり、「将軍家に最も近い名門」という絶対的なブランドを持っていたからです。

つまり、慶喜は血のつながり以上に、治済が政治的に価値を高めた「一橋家の当主」というポジションを利用し、幕末の難局でリーダーシップを発揮することができたのです。

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以上、今回は一橋治済の家系図とその権力の実態についてお伝えしました。

一橋治済は自ら表舞台に立たずとも、血と策略で幕府を動かした“影の支配者”でした。息子・家斉による長期政権や、その後の幕府の衰退までもが、治済の描いた家系図の延長線上にあったといえるでしょう。

NHK大河ドラマ『べらぼう』でも描かれる治済の姿はとても一筋縄ではいかない人物。単なる悪人というわけでもなく、時代を動かした策士としての魅力に満ちていますね。

治済がどのような結末を迎えるのか楽しみです。

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