2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』で描かれる江戸出版界。
なかでも、黄表紙『文武二道万石通』は注目を集める作品です。
今回は、
- あらすじや著者
- 誕生の背景と江戸文化への影響
- 蔦屋重三郎の関わり
についてご紹介します。
『文武二道万石通』とは?作者やあらすじを解説!
ではさっそく『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくとおし)』について、概要やあらすじをご紹介しましょう。江戸の人々が大笑いしながらもチクリと刺された、この風刺文学の魅力に迫ります。
どんな作品?
『文武二道万石通』は、天明8年(1788年)に刊行された黄表紙です。作者は朋誠堂喜三二、挿絵を手がけたのは喜多川行麿。
出版を担ったのは、あの蔦屋重三郎です。
三冊にわたる大作で、江戸庶民が熱中した娯楽本のひとつでした。
黄表紙といえば、風刺やユーモアを盛り込んだ絵入り読み物。教養ある町人や文化好きの人々に大いに受け入れられ、江戸の「笑い」と「批評精神」を両立させるジャンルでした。
その中でも『文武二道万石通』は、喜三二の代表作として今に名を残しています。
出版の背景とタイトルの意味
刊行の年、天明8年は激動の真っ只中。
前年には田沼意次が失脚し、松平定信が老中に就任。そこから始まったのが「寛政の改革」です。
質素倹約や学問重視を旗印に、幕府は武士に「文武両道」を求めるようになります。
そんな空気の中で登場したのが、この『文武二道万石通』。
題名の「万石通」は精米器具の名前をもじったもので、米と糠をふるい分けるように「文」と「武」を選り分けるというしゃれっ気たっぷりのタイトルです。
そして物語の随所には、鎌倉武士を借りた“仮面”の向こうに、松平定信や田沼意次ら当時の権力者を風刺した影がちらり。
読者はにやにやしながら読み進め、幕府は冷や汗をかく――そんなスリリングな一冊だったのです。
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『文武二道万石通』のあらすじを解説!
文武二道万石通はどんなストーリーだったのでしょうか?あらすじを追ってみましょう。
①物語のはじまり ― 重忠の試み
舞台は鎌倉時代。
将軍・源頼朝から命じられた畠山重忠は、「武士たちを“文”か“武”かで分けよ」との指令を受けます。
ところが、実際にはどちらにも当てはまらない“ぬらくら武士”ばかり。
そこで重忠は策をめぐらし、武士たちを富士山の「人穴」に送り込みます。不老不死の薬を汲ませるという名目で試練を与えたのです。
ところが中に入った武士たちは足を滑らせたり、転げ回ったりと大混乱。結局は頼りなさをさらし、文にも武にも属さない者たちの姿が浮き彫りになっていきます。
②遊郭での転落劇
場面はやがて大磯へ移ります。合格できなかった武士たちは廓遊びにふけり、酒と女に溺れて大借金を背負う羽目に。
現実の世相を思わせるようなだらしない姿は、読む人の失笑を誘いました。
極めつけは、揚屋の庭にある池を「無間の鐘」とこじつけ、「この鐘を突けば三万両が手に入る!」と騒ぎ立てる場面です。
実際にはただ池の水面を叩いているだけで、お金が湧き出るはずもありません。そんな無意味な行為に必死になる武士たちの姿こそ、読者にはたまらなく滑稽に映り、「これは当時の武士社会の皮肉だな」と気づかされるのです。
③オチと風刺の効き目
畠山重忠は「文でも武でもない者には言うことはない」と一刀両断。
物語はここで幕を閉じます。
ただのドタバタ劇に見えて、実は「文武両道をうたうなら本気でやれ!」という痛烈な皮肉が潜んでいる――それこそが『文武二道万石通』の真骨頂でした。
『文武二道万石通』という蔦屋重三郎の支援で世に出たこの作品は、鎌倉武士の物語に仮託しながら、幕府の政策や武士の堕落を容赦なく風刺しました。
江戸庶民はその滑稽さに笑い、同時に時代の現実を突きつけられる。そんな二重の面白さをもつ黄表紙こそ、まさに江戸文化の粋と言えるでしょう。
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『文武二道万石通』の作者は朋誠堂喜三二
『文武二道万石通』の作者は朋誠堂喜三二です。
武士の公務もこなしつつ、筆を走らせて江戸を笑わせた“二重生活”の達人。黄表紙界の主役、その裏にはどんな顔があったのでしょうか。
本名は武士!吉原でも有名な「宝暦の色男」
1735年(享保20年)、江戸生まれの武士で、のちに秋田藩(出羽久保田藩)の江戸留守居役に抜擢された人物こそ、本名・平沢常富です。14歳で平沢家に養子入りし、留守居役筆頭まで出世したエリート武士でした。
江戸の吉原にもよく通ったと伝えられ、「通人」として知られる一面もありました。当時の遊里文化に精通していたことが、戯作者としての感性にもつながったと考えられます。
戯作者として二刀流!
そんな平沢常富、裏の顔は傑作戯作者「朋誠堂喜三二」。
江戸の遊里文化や市井の息づかいをユーモアたっぷりに描いた黄表紙や洒落本を次々ヒットさせ、人気作家に成長しました。
1773年には吉原のファッション指南書『当世風俗通』で大ブレイク。
その後、恋川春町との合作でも話題をさらい、黄表紙界に欠かせない作家となります。
蔦屋重三郎との“黄金タッグ”で出版界の華へ
この才気あふれる戯作者に目をつけたのが、後の江戸出版界の覇者・蔦屋重三郎。
喜三二は『娼妃地理記』や序文を手がけ(吉原細見などで活躍)、蔦屋の出版戦略を文学的に支える最重要パートナーとなります。
特に『文武二道万石通』などのヒット作連発が、蔦屋重三郎の“出版王国化”を後押しした功績は無視できません。
寛政の改革→黄表紙断筆→狂歌師へ華麗に転身
しかし、1787年に始まった寛政の改革による出版統制は、武士でもあった喜三二にとって致命的。
政治風刺を効かせた『文武二道万石通』が問題視され、藩主・佐竹義和から厳しく叱責されてしまいます。
以降、彼は黄表紙から引退し、“狂歌師”としての第二の人生へ。狂歌師としての号は「手柄岡持」――滑稽さと風刺に溢れる狂歌で、晩年まで活躍し続けました。
数知れぬペンネームと終始江戸に根ざす人生
朋誠堂喜三二は、実は一人で使った筆名がものすごく多いのです。
黄表紙は「朋誠堂喜三二」、狂歌は「手柄岡持」、さらに青本では「亀山人」、笑い話本では「道陀楼麻阿」、俳号は「雨後庵月成」「朝東亭」など、性別感覚なしにネーム使いまくり!その多才ぶりが何より面白いですね。
一方で、活動の舞台は一貫して江戸。武士としての務めを果たす傍ら、戯作や狂歌を通じて江戸の文化に深く関わり続けた存在だったといえるでしょう。
⇒ 平沢常富の正体とは?戯作者・朋誠堂喜三二としての二重生活と蔦屋重三郎との関係
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『文武二道万石通』誕生の背景と影響
物語と時代がリンクし、黄表紙『文武二道万石通』が意味を帯びて世に現れる背景には、激動の江戸社会がありました。
天明7年の「打ちこわし」、幕府転換の引き金に
1787年(天明7年)5月、江戸は未曽有の混乱に揺れました。米価高騰と天明大飢饉の影響で庶民は困窮の極みへ――ついに怒り爆発!
一説によれば、江戸では1,000軒を超える米屋と8,000軒もの商家が襲われたといいます 。
米価の急騰はわずか1年で3倍以上に達し、町奉行所は「大豆でも食え」というようなお触れを出す始末。それが「貧乏人は犬を食え」と市井で揶揄された、あのセリフの背景です。
こうした庶民の怒りは、田沼意次派への反発と結びつき、政権交代への引き金となります。結果、松平定信が新たな老中に就任し、寛政の改革が幕を開けたのです。
寛政の改革と出版統制の嵐
松平定信による寛政の改革は「江戸のきもち」をガチっと引き締める政策のオンパレード。
重農抑商、質素倹約、公費削減――揺るぎない改革路線が突き進んだ一方で、文化・出版の世界は息苦しい空気に包まれました。
その最たる対象が「黄表紙」や「洒落本」といった、風刺や洒落を効かせたエンタテインメント本でした。
1788年(寛政元年)に登場した『文武二道万石通』もその代表作でしたが、その後の統制強化により、武士出身の作者は創作界から次々と姿を消していきます。
一世を風靡したヒットその後に控える締め付け
その反面、『文武二道万石通』は江戸市民の笑いをかっさらう快進撃を遂げました。当時大流行したと伝えられ、町では草双紙売りが声を張り上げて売り歩いたともいわれます。
しかし、風刺の切れ味が強すぎたのか、翌々年には幕府からの圧力がエスカレート。
作者・朋誠堂喜三二(平沢常富)は藩主から叱責を受け、戯作を断念せざるを得なくなります。恋川春町もまた、処分直後に亡くなるなど、その人気の裏で、幕府の統制が強まり、作者や作家仲間の運命を大きく揺さぶることになりました。
⇒ 恋川春町はいつ処罰された?弾圧の理由や蔦屋重三郎との関係を解説
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『文武二道万石通』と蔦屋重三郎との関わり
『文武二道万石通』が世に出て大ヒットとなった背景には、版元・蔦屋重三郎の力がありました。ここでは、この作品の出版に至る重三郎の役割を見ていきましょう。
蔦屋重三郎が選んだ布陣
蔦屋は常に「時代の空気を切り取る作品」を狙っていました。朋誠堂喜三二の鋭い筆力に加え、挿絵には喜多川行麿を起用。作者と絵師、そして版元が三位一体となった作品として、『文武二道万石通』は1788年に刊行されました。
出版の狙いと効果
天明7年の「打ちこわし」で田沼政治が崩れ落ち、松平定信が老中となった直後。
寛政の改革期に入った時期に、『文武二道万石通』は「文」と「武」の対比を風刺的に描く内容であり、こうした世相を背景に、時代風刺作品として刊行された点に意味があります。
笑いながらも時代の皮肉を感じ取れる内容は、まさに江戸庶民の心を掴み、大ヒットへとつながったのです。
ヒットの裏に潜むリスク
本作は、寛政改革を揶揄した風刺作品として市中で好評を得たと伝えられます。
また、恋川春町による続編『鸚鵡返文武二道』(1789年刊)とともに、出版統制により絶版処分を受けました。
その結果、朋誠堂喜三二は戯作創作を断念せざるを得なくなったとされています。
蔦屋重三郎の出版は一方で、統制と弾圧の引き金にもなったのです。
以上、今回は、『文武二道万石通』についてご紹介しました。
天明の大飢饉から幕府政治の転換、寛政の改革による文化統制の流れの中で生まれ、爆発的な人気を獲得した作品。そして、そのヒットゆえに作者が苦境に追い込まれるという、切ない運命もまた、時代の“表情”を映し出していますね。
大河ドラマべらぼうでは、第34話から第35話にかけて、この作品が登場します。
どのように描かれるのか演出が楽しみですね。
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