『べらぼう』第27話から28話にかけて、田沼意知に衝撃的な事件が展開されていますね。
黒幕はもう、一橋治済で間違いない、と確信を得た方も多いのではないでしょうか?
べらぼうにおいては、実はこの事件、平賀源内の死ともつながっていて、治済がずっと裏で動いていた可能性があるんです。
田沼意知の事件の史実においても、そんな可能性が浮上しています。
今回は、
- 佐野政言が意知を斬った本当の理由
- 平賀源内の死とのつながり
- 黒幕・一橋治済の目的
についてご紹介します。
『べらぼう』刃傷事件の裏に黒幕?
『べらぼう』第28話では、いよいよ佐野政言が田沼意知を斬るという歴史的事件が描かれようとしています。
一見すると、佐野が個人的な理由で斬ったようにも思えますが、本当にそれだけだったのでしょうか?
実は、事件の裏には“黒幕”がいる――そんな疑念を抱かせる不穏な動きが、じわじわと描かれていたのです。
その鍵を握るのが、“丈右衛門だった男”の存在。そして、その背後に見え隠れするのが、一橋治済です。
不審な雁とともに現れた「黒幕の手先」
佐野が将軍の狩りに同行したある日、彼が放った矢が確かに雁に命中したはずなのに、獲物が見当たらないという不可解な出来事が起きます。
意知とともに探しても見つからず、そのまま事件は終わるかに思われました。
ところが数日後、佐野の屋敷にひとりの男がやって来て、「お見せしたいものが」と言いながら、矢が刺さった雁を差し出します。
さらに男は、「田沼様がこれを木のうろに隠すのを見た」と語り、佐野の心に田沼への不信を植え付けるのです。
この男こそ、のちに“丈右衛門だった男”とクレジットされ、視聴者に衝撃を与えました。
黒幕に仕える“スパイ”?源内事件との不気味な共通点
この男、実は過去にも重要な事件に関わっていました。
それが、平賀源内が濡れ衣を着せられて牢死した事件です。
あのとき源内の家にいて、人を斬った張本人――それが「丈右衛門」を名乗るこの男でした。
つまり、源内の死と佐野の凶行という、一見無関係な二つの出来事の裏に、同じ人物が関与していたということになります。
偶然にしては、あまりにも出来すぎている。
ふたりの破滅のきっかけを巧みに演出したこの男は、ただの通りすがりではなく、黒幕の命を受けて動く“仕掛け人”だったのではないか――
そんな推測が成り立つのです。
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黒幕は一橋治済?壮大なる陰謀の構図
『べらぼう』を見ていると、少しずつ姿を現してきた“裏の支配者”。
その黒幕の正体こそ、一橋治済です。
生田斗真さん演じるこの人物は、ずっと前から水面下で動いていたと考えられます。
そして、佐野政言や平賀源内のまわりをうろついていた「丈右衛門だった男」も、どうやら黒幕・一橋治済の駒のひとつ――つまり、治済の命を受けて暗躍していた可能性があるのです。
治済と“丈右衛門だった男”のただならぬ関係
これまで直接つながりが明かされてきたわけではありませんが、劇中では「丈右衛門だった男」が治済の周辺でたびたび動いている描写が見られます。
源内の原稿『死を呼ぶ手袋』が焼かれたシーンでは、治済が庭でその様子を指示し、そして今回もまた佐野を揺さぶるようなかたちで丈右衛門が現れました。
この流れを見る限り、“黒幕・治済の意を汲んで動いている男”と見て間違いないでしょう。
身分や名前を変えて情報をかき集め、時には人の心を操る。まさに“御庭番”的な存在。
その裏で指示を出すのが、一橋治済なのです。
一橋治済が蝦夷地に注目した本当の理由
さらに注目したいのが、蝦夷地(今の北海道)をめぐる政治的な動きです。
劇中では、松前藩の道廣が「上知(国による直轄地化)をやめてほしい」と嘆願に訪れる場面がありました。
そのとき治済は、蝦夷地に関する書物『赤蝦夷風説考』を手にしていたのです。
この本には、「このまま何もしなければ、蝦夷地はロシアに取られてしまうかもしれない」という警告が記されています。
しかし治済は、この内容を“国の未来”のために読むのではなく、政局の道具として利用しようとしているように見えました。
つまり、蝦夷地をめぐる不安定な状況を逆手に取り、田沼一派を引きずり下ろす材料にしようとしていたのです。
なぜそこまで田沼を敵視したのか?
田沼意次・意知の父子は、新しい時代を見据えてさまざまな改革を進めていました。
商業の発展、海外との交易、そして知の力を重んじる姿勢――それは、保守的な幕府の中では異端ともいえる存在でした。
一橋治済は、そんな田沼一派に強い警戒心を抱いていた人物。
田沼がこれ以上勢力を伸ばせば、幕政のバランスが大きく崩れてしまう。そう考えていたとしても不思議ではありません。
だからこそ、まず若くて有能な意知を狙った。
息子を失えば、父・意次への打撃は計り知れない――。
そんな冷徹な“計算”のもとに、治済は一歩ずつ田沼の足元を崩していったのではないでしょうか。
このあとの章では、実際に残された「海外の証言」をもとに、事件の裏に何があったのかをさらに掘り下げていきます。
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オランダ人「ティチング」が記した“真相”とは
ちょっと史実に目を向けてみましょう。
田沼意知の死をめぐっては、当時から「私怨によるものか、公憤だったのか」と議論がありました。
⇒ 佐野政言(まさこと)はなぜ田沼意知を斬った?世直し大明神と呼ばれた理由
けれど近年になって、「いや、背後には黒幕がいたのでは?」という説が浮上しています。
その根拠のひとつとして注目されているのが、長崎出島にいたオランダ商館長ティチングによる手記――『日本風俗図誌』です。
この記録には、当時の日本の高官から直接聞いたという驚くべき証言が残されており、事件の裏に“仕組まれた意図”があった可能性が示唆されています。
『日本風俗図誌』に描かれた暗殺の詳細
ティチングは、事件当日の状況を細かく記録しています。
それによれば、いつもはまとまって行動している若年寄たちが、その日に限ってばらばらに帰路についたとされます。
その結果、田沼意知は一人取り残され、そこを佐野政言に斬られるのです。
まるで“舞台が整えられた”かのような状況――
これは偶然だったのでしょうか?それとも、誰かが意図的に動いた結果だったのでしょうか?
佐野が逃げる「余裕」があった不自然さ
さらに不可解なのが、佐野が斬った後、すぐに捕らえられなかった点です。
事件のあった江戸城内には番士(警護役)たちがいたにもかかわらず、佐野が逃げられる時間があったというのです。
ティチングは「周囲の者たちは、あえて動かなかったのではないか」という趣旨の指摘をしており、これもまた、“佐野に逃げ道を与えるよう仕組まれていた”ように読めます。
つまり、この暗殺劇には「佐野一人の暴走ではない」可能性があるということ。
周囲もそれを知っていた、あるいは黙認していたとすれば、黒幕の影が一気に濃くなります。
なぜ田沼意知だったのか?
田沼意次ではなく、なぜ若き田沼意知が狙われたのか――
その理由について、ティチングは非常に興味深い見方を残しています。
彼は「父・意次は高齢でいずれ引退するが、息子はこれから先、長く改革を続ける存在。だからこそ、先に息子を潰すのが効果的だった」と書いています。
これはまさに、相手に最大の打撃を与える“政治的な一手”。
感情的な衝動ではなく、冷静で計算された暗殺――黒幕の関与を示すには十分な論理です。
日本側にはこれを裏づける直接の記録は残っていませんが、当時の政敵たちによって、田沼一派に関する史料が意図的に抹消されたとも言われています。
一方、オランダ商館長ティチングが残したこの証言は、唯一“外から見た証言”として、当時の空気感や不自然な点を生々しく伝えています。
大河ドラマ『べらぼう』では、このティチングの記録内容がベースのひとつとなり、一橋治済を“黒幕”として描く流れが採用されたのではないでしょうか?
以上、今回は『べらぼう』に描かれた田沼意知の死と、その裏に潜む黒幕説についてお伝えしました。
佐野政言の凶行の背後には、一橋治済の存在が見え隠れし、平賀源内の死ともつながる“仕組まれた流れ”が浮かび上がってきました。
史実や外国人の記録と照らし合わせながら見ると、ドラマの描写は決してフィクションとは言い切れない奥深さがあります。
一橋治済という黒幕が仕掛けた“見えない政変”。その全貌が明らかになる日も近いかもしれません。
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