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一橋治済は悪人でサイコパス?毒とカステラの真相とべらぼうで描かれた闇

江戸時代後期、徳川幕府の裏で“影の将軍”と呼ばれた一橋治済(ひとつばし・はるさだ)。

治済は第8代将軍・徳川吉宗の孫であり、第11代将軍・家斉の父でもあります。

近年では「悪人」「サイコパス」といった言葉で語られることもありますが、果たしてそれは史実に基づくものなのでしょうか?それともフィクションによる印象なのでしょうか?

この記事では、

  • 一橋治済がなぜ「悪人」と呼ばれるのか
  • 仲間由紀恵さんが演じた“サイコパス”な治済像
  • 「毒」や「カステラ」にまつわる噂の真相

についてお伝えします。

 

一橋治済とは?将軍を陰で操った“江戸の怪物”

一橋治済

江戸幕府のなかで、一橋治済はどんな存在だったのでしょうか。

治済は政治の表舞台に立つよりも、むしろ裏から権力を動かすことで知られていました。
その行動の冷静さと計算高さが、「悪人」や「怪物」と呼ばれる印象につながっていきます。

【史実】徳川吉宗の血を継ぐ権力者

一橋治済は、江戸幕府の名君・徳川吉宗の孫であり、御三卿(ごさんきょう)の一橋家を継ぎました。

息子の徳川家斉を将軍に就けることに成功し、その後は長く幕府の実権を握ったとされています。

治済は冷静で判断力に優れた政治家でしたが、その慎重さと権力欲の強さが、後世で“陰の将軍”と呼ばれる要因になりました。

⇒ 徳川御三卿とは?家系図で解説!田安・一橋・清水家の役割と序列

なぜ「悪人」と呼ばれる?

一橋治済が「悪人」と言われる理由は、1779年(安永8年)以降に起きた一連の不審な出来事にあります。

将軍の後継者・徳川家基が若くして亡くなり、続いて老中や学者までもが急死。これらの事件によって治済の息子・家斉が将軍に選ばれたため、「治済が背後で暗躍していたのでは?」という考え方が広まりました。

ただし、これらの話は史料として確かな証拠が残っているわけではありません。

つまり、“悪人”という印象は、後世の想像や物語化の中で強まった側面が大きいのです。

 

べらぼうで見る治済の暗躍

被害者 死亡時期
歴史的疑惑/ドラマ「べらぼう」での示唆 治済を利した点
徳川家基
(将軍継嗣)
1779年5月 毒殺疑惑。毒は「手袋」に仕込まれていたとされる 。 治済の息子(家斉)が将軍後継者候補に浮上。
松平武元
(老中筆頭)
1779年6月 治済が黒幕とする謀略による死の一人とされる。 田沼意次体制への揺さぶり。
平賀源内
(本草学者)
1779年12月(獄死) 家基の毒殺真相を探ったため、口封じとして薬物で酩酊させられ、殺人犯に仕立て上げられる 。 治済の謀略の露見を阻止。
徳川家治
(第10代将軍)
1786年 ドラマでは治済が死に関与したことが示唆される 。 息子家斉の将軍就任(1787年)を確実にする。

 

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「サイコパス」な悪人像は仲間由紀恵の治済

一橋治済が現代で再び注目を浴びるきっかけとなったのが、『大奥 Season2』です。

仲間由紀恵さんが演じた治済は、静かに人を追い詰める“優雅な狂気”として描かれました。
ここから治済=「サイコパス的な権力者」という新しいイメージが広がっていきます。

ドラマ『大奥』が描いた“サイコパス”な治済

『大奥』での治済は、笑顔の裏に恐ろしい冷徹さを秘めた人物として描かれています。
仲間由紀恵さんがもつ穏やかで母性的な印象と、その裏に潜む狂気のギャップが視聴者の心に強烈な印象を残しました。

この「表面の優しさと内面の冷酷さ」の対比が、まさにサイコパス的要素を強調しています。

視聴者が震えた“静かな恐怖”

治済は怒鳴ることも暴れることもなく、ただ淡々と人を支配します。

たとえば、「これで田沼は用済みじゃの」という一言。

その穏やかな声色の中に、人を切り捨てる非情な冷たさがありました。この“静かな恐怖”の演出こそ、ドラマが生み出した新しい悪人像の特徴です。

『べらぼう』で再び注目される治済像

べらぼう一橋治済

2025年の大河ドラマ『べらぼう』でも、一橋治済は重要な存在として登場します。

この作品では、史実に基づいた冷静な策略家としての一面を中心に描かれています。『大奥』のようなサイコホラー的演出とは異なり、
より「政治的リアリズム」に近い治済像として再評価されている点が特徴ではないでしょうか。

 

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一橋治済と毒とカステラの関係

一橋治済の悪人イメージを強めたのが、「毒」や「カステラ」にまつわる暗殺伝説です。しかし、ここには史実とフィクションが混ざり合っている部分があります。どこまでが本当で、どこからが創作なのかを整理してみましょう。

徳川家基の死と「毒殺説」

1779年、将軍の後継者・家基が18歳で急死しました。

この突然の死をめぐって「毒殺説」が流れたのは事実ですが、当時の公式記録には病死とされています。
治済が関与したという証拠もなく、あくまで後世の推測です。

カステラ毒殺説:甘美な裏切りの象徴

「カステラに毒を仕込んだ」という話は、完全にフィクションです。物語やドラマの演出として語られてきた設定で、史実の記録には存在しません。

とはいえ、日常的で甘いお菓子に“毒”を忍ばせるという発想が、治済の“静かな悪意”を象徴するモチーフとして定着しました。

べらぼう|平賀源内と“死を呼ぶ手袋”

べらぼう平賀源内

実在の学者・平賀源内は、家基の死の翌年に投獄され、獄中で亡くなりました。

しかし「治済の陰謀を暴こうとして殺された」という説は、大河ドラマ・べらぼうのフィクションと思われます。

べらぼうでは、源内が真相を記した物語『死を呼ぶ手袋』を治済が焼き捨てるという演出が登場し、その光景が“悪の象徴”として描かれました。

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一橋治済は本当に悪人だったのか?

結論として、一橋治済は「史実の中では冷静な政治家」、そして「フィクションの中ではサイコパス的悪人」として描かれています。
毒やカステラの逸話は物語の脚色ですが、その背景にある“権力と恐怖の関係”は、現代にも通じるテーマです。

『べらぼう』で再び描かれる一橋治済の姿は、単なる悪人ではなく、「人間の闇と欲望」を映す鏡。
歴史とドラマの狭間に生き続けるその存在こそ、日本史における“究極の悪”の象徴なのかもしれません。

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