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あんぱん トピックス

あんぱん|いせたくやの実在モデルはいずみたく!やなせたかしとの関係は?

2025年春スタートのNHK朝ドラ「あんぱん」に登場する新キャラクター「いせたくや」。

この印象的な名前には、実在の人物をモデルとした設定が隠されています。

そう、いせたくやの実在モデルとなっているのは、昭和を代表する作曲家・いずみたくさんです。

今回は、

  • いせたくやの実在モデルとされるいずみたくさんのプロフィール
  • いずみたくさんの代表作
  • やなせたかしさんといずみたくさんの関係
  • いせたくやを演じる大森元貴さん

について、詳しくご紹介していきます。

 

いせたくやの実在モデルは“いずみたく”!どんな人?

 いせたくやという名前に込められた“実在モデル”のヒント

「いせたくや」という名前は、音の響きからして「いずみたく」と非常によく似ています。

このキャラクターが誰をモデルにしているのか──その答えはすでに明らかです。

NHKの公式発表や複数の報道により、いせたくやの実在モデルは作曲家・いずみたくであることが発表されています。

このネーミングは偶然ではなく、実在する人物をモチーフにした意図的な設定です。

朝ドラにおいて実在モデルの登場は珍しくありませんが、音楽史に名を刻んだいずみたくさんがモデルとなることで、物語のリアリティと重みが加わっていますね。

 

いせたくやの実在モデル「いずみたく」はどんな人?

「いせたくや」というキャラクターの実在モデル、作曲家のいずみたく(本名:今泉隆雄)さん。

戦後の日本で数々の名曲を生み出し、音楽だけでなく、演劇やテレビの世界、さらには政治の場でも活躍した“多才な人物”でした。

まずは、いずみたくさんの歩みをざっくりとご紹介しましょう。

いずみたくさんの経歴

  • 1930年1月20日、東京都台東区谷中に生まれる。
  • 幼い頃から劇場好きの父や宝塚ファンの母の影響で、自然と舞台や音楽に親しむように。
  • 学生時代は、仙台陸軍幼年学校に在学。その後、演劇への興味から1946年に鎌倉アカデミア演劇科へ進学し、1950年には舞台芸術学院を卒業。
  • 卒業後は、ダンプやタクシーの運転手をしながら演劇の現場に関わり、作曲家・芥川也寸志に師事。本格的に作曲活動をスタート。
  • 1955年、「ホームソング・コンクール」でグランプリを受賞し、三木鶏郎の冗談工房に参加。
    CMやラジオ、テレビ音楽の世界へ飛び込む。
  • 1960年、永六輔とのタッグでミュージカル『見上げてごらん夜の星を』を発表。これをきっかけに舞台音楽の分野でも注目を集めるように。
  • 1963年には自らのプロダクション「オールスタッフ」を設立。いしだあゆみ、ピンキーとキラーズ、佐良直美など、多くのアーティストを育てる。
  • 1965年からは「にほんのうた」シリーズにも力を入れ、ご当地ソングや童謡を全国に届けます。
  • そして、生涯で手がけた楽曲はおよそ15,000曲。
    ジャンルを問わず、多くの名曲を生み出したまさに“日本の音楽職人”といえる存在に。
  • 1977年にはミュージカル劇団「フォーリーズ(現・イッツフォーリーズ)」を立ち上げ、若手俳優や表現者の育成にも力を注ぐ。
  • 晩年には政治の世界にも進出し、1989年に参議院議員に当選。文化政策の提言などにも尽力。
  • 1992年5月、肝不全のため62歳で亡くなりました。

 

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表現者としての幅広さと、人に寄り添う音楽

いずみたくさんの魅力は、その“ジャンルを越える”柔軟さと、“人の声に寄り添う”あたたかさにありました。

戦争体験や演劇的な感性を通じて、「歌は感情であり、物語でもある」という思いを強く持っていたそうです。

ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』や、やなせたかしさんと共作した「手のひらを太陽に」などには、そんな彼の信条が色濃く表れています。

また、地方に出向いてご当地の子どもたちと歌をつくるなど、“歌を届ける”という活動に真摯に向き合っていたのも特徴です。

こうした人物像は、ドラマ「あんぱん」に登場する「いせたくや」というキャラクターにも丁寧に投影されており、実在モデルとしての説得力を与えてくれます。

 

実在モデル・いずみたくの代表作

いずみたくさんが手がけた代表曲は数多く存在します。

その中でもとくに有名なのが、以下の3曲。

「見上げてごらん夜の星を」

1960年のミュージカル主題歌として制作。坂本九による歌唱版が1963年に大ヒットし、第5回日本レコード大賞・作曲賞を受賞しました。

「夜明けのうた」

岸洋子が歌い、時代の転換点を象徴する名曲として多くの人に支持されました。

「手のひらを太陽に」

やなせたかしさん作詞。子どもたちに愛される童謡として長年親しまれ、小学校の音楽の教科書にも掲載され続けています。

 

これらの楽曲には、いずみたくさんが一貫して大切にしてきた“人の声の力”と“希望を感じさせるメッセージ”が込められており、ドラマ「あんぱん」の世界観とも深く通じているように感じますね。

 

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いせたくやのモデル・いずみたくとやなせたかしの関係

朝ドラ「あんぱん」に登場する音楽家・いせたくや(実在モデル:いずみたく)は、物語のなかでも大きな存在感を放つキャラクターです。

実はそのモデルとなったいずみたくさんと、やなせたかしさん(嵩)には、実際に深いつながりがありました。

 

出会いは舞台『見上げてごらん夜の星を』

やなせたかしさんといずみたくさんが初めて出会ったのは、1960年の舞台『見上げてごらん夜の星を』の制作現場でした。

この舞台は永六輔さんの企画・脚本・演出によるもので、やなせたかしさんが舞台美術を担当し、いずみたくさんが音楽(作曲)を担当しました。

この作品をきっかけに、ふたりは仕事仲間として親交を深め、のちに童謡やミュージカル、舞台などで協力関係を築いていきます。

(朝ドラあんぱんでは、ちょっと史実とはちょっと違う出会いになるかもしれませんね)

 

 永六輔がつないだ縁

ふたりを引き合わせたのは、放送作家・作詞家として知られる永六輔さん

永さんは当時、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』(1960年)の企画・脚本・演出を手がけており、やなせたかしさんを美術担当、いずみたくさんを作曲担当として招き入れたことで、ふたりの最初の出会いが実現します。

この舞台の経験が、やなせさんにとっても、いずみさんにとっても、その後の創作人生に大きな影響を与えることになりました。

 

やなせさんはこのときのことを、著書『人生なんて夢だけど』(海竜社、2005年)で振り返っています。

ある日、永六輔さんが突然やなせさんの自宅を訪ねてきて、「お願いがあってやってきました」と切り出したのだそうです。

当時ふたりは面識がなかったにもかかわらず、永さんは舞台美術をやなせたかしさんに依頼。

その意図について、やなせたかしさんは

「なぜ自分に声をかけたのか、最後までよくわからなかった」

と記しています。

それでも、この不思議な縁がやがていずみたくさんとの出会いにつながり、ふたりの長い創作関係の始まりとなったことは、まさに“鬼才”永六輔さんがもたらした偶然のような奇跡だったと言えるでしょう。

⇒ あんぱん六原永輔の実在モデルは永六輔!代表作や藤堂日向のキャスト情報も

 

異分野ながらも意気投合

やなせたかしさんは戦後、商業デザインや舞台美術の世界で活動を続けていました。

一方のいずみたくさんは、映画や舞台、テレビ音楽など幅広い分野で作曲家として頭角を現していた人物。

当時のふたりがすでに確固たるキャリアを築いていたわけではありませんが、それぞれの専門分野で培った感性が、『見上げてごらん夜の星を』という舞台の中で響き合ったことで、以降の長い協業につながっていったのかもしれませんね。

 

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共鳴しあう才能|作詞・やなせたかし × 作曲・いずみたく

やなせたかしさんといずみたくさんが出会った後、その才能はすぐに共鳴し、名曲を次々と生み出す「名コンビ」へと発展していきました。

ここではやなせたかしさんといずみたくさんの代表作や共作の背景を見ていきましょう。

 名曲『手のひらを太陽に』が生まれるまで

1961年、やなせたかしさんは日本教育テレビ(現:テレビ朝日)の朝のニュース番組の構成をしていました。

その番組で「今月の歌」として、自作の詞『手のひらを太陽に』を書きました。

夜中、仕事中に電気スタンドで自分の手を温めていた際、透けて見えた赤い血潮からインスピレーションを得たと語っています。

その歌詞を、知人であったいずみたくさんに作曲を依頼し、完成したのがこの曲です。

 

曲は1962年にNHK『みんなのうた』で、宮城まり子さんとビクター少年合唱隊によって歌われ、日本中に広まりました。

その後、1965年にボニージャックスがキングレコードから発売し紅白歌合戦で歌唱されて大きな反響を呼び、名曲となったのです。

 

 実はこんな作品も!知られざる共作

ふたりは『手のひらを太陽に』以降、1970年代から「0歳から99歳までの童謡」シリーズを制作し、月に一曲ずつ誰もが歌える歌を作り続けました。

このシリーズでは合計100曲以上を制作し、さまざまなジャンルの歌を通して老若男女に愛されました。

また、アニメ『アンパンマン』の世界でもタッグを組んでおり、キャラクターソング(「いくぞ!ばいきんまん」「おなじみしょくぱんまん」など)の多くを、やなせたかしさんが詞、いずみたくさんが曲を担当しています。

 

 ふたりの作品が愛され続ける理由

やなせたかしさんといずみたくさんの作品が、時代や世代を超えて多くの人に親しまれてきたのは、「世代を超えて歌える歌を作りたい」という共通の想いがあったからです。

ふたりは、わかりやすく、生活の中に自然に溶け込むような歌を目指して創作に取り組みました。その姿勢が、子どもから大人まで誰の心にも届く、普遍的な歌となって表れたのです。

代表作『手のひらを太陽に』に象徴されるように、ふたりの作品には、日常の中でふと感じる小さな気づきや、生きることへのまっすぐなまなざしが込められていました。

難しい言葉を使わずに、しかし生命力あふれる言葉とメロディで、人々の心を励ます──そんなふたりの作風が、作品の持つ力をより一層際立たせていたのです。

また、ふたりは1970年代以降、「0歳から99歳までの童謡」と題して、月に1曲ずつ歌を作るという約束を交わし、実際に100曲以上を共作しました。

このような継続的な取り組みが、ふたりの間に揺るぎない信頼関係と創造的な融合を生み、長く愛される作品群へとつながっていったのですね。

 

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 晩年まで続いたやなせたかしといずみたくの絆

やなせたかしさんといずみたくさんは、1960年代の出会い以来、童謡や舞台、アニメなど多彩な分野で共作を重ねてきました。

その関係は晩年まで続き、いずみたくさんの最期の仕事も、やなせさんとの共作によるものでした。

ふたりの創作活動の終幕には、長年にわたる信頼と敬意の絆が刻まれています。

 

 いずみたくの遺作となったアンパンマン・ミュージカル

いずみたくさんが最後に手がけた作品のひとつが、1992年に発表されたミュージカル『それいけ!アンパンマン』シリーズの楽曲「すすめ!アンパンマン号」です。

この作品は、やなせたかしさんが作詞を担当し、いずみさんが作曲しました。

当時すでに体調を崩していたいずみさんは、病床から口述筆記の形で作曲を進め、楽譜としては完成し、あとは録音するだけという段階まで仕上げていたと伝えられています。

その後まもなく、いずみたくさんは1992年6月に逝去。この作品が遺作となりました。

⇒ やなせたかしは何歳でアンパンマンを描いた?誕生のきっかけと秘話を紹介!

 

 最後まで共にあった、詞と曲の関係

このミュージカル楽曲には、やなせたかしさんの詞といずみたくさんの曲という、ふたりの創作スタイルが最後まで変わらずに貫かれていたことが、はっきりと表れています。

特別な言葉を交わさなくとも、彼らが最後まで同じ作品に向き合い続けていたという事実が、創作仲間としての絆を物語っているといえるでしょう。

長年の協働の末に生まれた最後の共作は、ふたりの友情と信頼の結晶として、今も多くの人に愛され続けています。

 

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いせたくやを演じるのは大森元貴!

ドラマ「あんぱん」で、やなせたかし(嵩)と出会い、音楽を共に紡ぐ重要な人物「いせたくや」。その役に抜擢されたのが、人気バンドMrs. GREEN APPLEのボーカリスト、大森元貴さんです。

音楽業界ではすでに知らぬ者はいない存在ですが、今回が朝ドラ初出演ということで、注目が集まっています。

 Mrs. GREEN APPLEのフロントマン・大森元貴とは?

1996年9月14日、東京都西東京市に生まれた大森元貴さん。A型。

幼少期から音楽に親しみ、10代でその才能が花開きました。

高校2年生の時、Mrs. GREEN APPLEを結成

2015年にEMI Recordsからメジャーデビューを果たし、瞬く間にトップアーティストの仲間入りを果たしました。

Mrs. GREEN APPLEでは、ボーカル・ギターに加えて、作詞・作曲・編曲のすべてを担うという圧倒的なクリエイティブ力を発揮。

音楽的センスと独特の詞世界で、若者を中心に熱狂的な支持を得ています。

 

 アーティストとしての実力と独自の世界観

大森さんは、近年のビルボード「作詞家/作曲家チャート」で1位を獲得するなど、実力派ソングライターとしても評価が高まっています。

ライブパフォーマンスでは、ただ歌うだけでなく、演技のような表情や間合い、身のこなしで観客の心をとらえるのが特徴。

演者としての素質をすでに持ち合わせている、と多くの音楽関係者からも評価されています。

また、音楽だけにとどまらず、絵本の執筆や朗読劇への参加など、ジャンルを超えた表現活動にも挑戦中。彼の創作は、音楽という枠に収まらない、まさに“世界観そのもの”です。

 

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いずみたく(いせたくや)の役に大森元貴が抜擢された理由

倉崎憲チーフ・プロデューサーが初めてMrs. GREEN APPLEのライブを観たのは約1年前。

その日、大森元貴さんが歌と歌の合間に見せた芝居的表現、間合い、仕草、表情――これらの一瞬に、倉崎氏は震えるような感動を覚えたといいます。

特に「ダンスホール」の前の“間”に心を奪われ、涙が自然とこぼれた瞬間を境に、

  • 「役者としての大森元貴さんを観てみたい」
  • 「この衝動を逃したくない」

と即座に出演オファーを決断されたそうです。

“表現者としての共鳴”とシンパシー

倉崎氏はさらに、大森さんといずみたくさんとの共通点に着目しました。

どちらも幅広い世代に向けて数多くの名曲を送り出し続けている“希代のヒットメーカー”です。

大森さんが過去5ヶ月連続で新曲を発表した実績も、実在モデルであるいずみたくさんとイメージが重なると評価されました。

重要な役どころへの信頼と期待

朝ドラあんぱんで描かれる「いせたくや」は、やなせたかし(嵩)とともにミュージカル『見上げてごらん夜の星を』を手がけ、「手のひらを太陽に」を共作するなど、物語の後半を担う重要人物です。

そのため、音楽と人間性を併せ持つ役者が必要とされました。

倉崎氏は「大森さんだからこそ、この役にふさわしい」と明言し、俳優としての大森氏の才能にも大きな期待を寄せています。


以上、今回は朝ドラ『あんぱん』に登場する「いせたくや」のモデル・いずみたくさんについてご紹介しました。

音楽で時代を明るく照らした彼の生き様が、ドラマでどう描かれるのか注目が集まっています。

Mrs. GREEN APPLEの大森元貴さんが演じるいせたくやはどんなキャラクターになるのか、音楽への真っすぐな思いを持つ彼だからこそ表現できる“いせたくや”に、期待が高まりますね。

 

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