朝ドラ『あんぱん』第22週では、嵩が八木信之介のサポートを受けて詩集『愛する歌』を出版します。
実はこの『愛する歌』、ドラマの中だけの話ではなく、やなせたかしさんが実際に出版した実在する詩集。
しかもその背景には、サンリオの創業者・辻信太郎さんとの出会いが大きく関わっていました。
この記事では
- やなせたかしさんの詩集『愛する歌』の実在について
- 出版の裏にあったサンリオ創業者・辻信太郎さんとのエピソード
- 詩集に込められた魅力とメッセージ
についてお伝えします。
実在するやなせたかしの詩集『愛する歌』
ドラマ『あんぱん』に登場する詩集『愛する歌』は、フィクションのアイテムではなく、やなせたかしさんが実際に世に送り出した詩集です。
1960年代から1990年代にかけてシリーズ化され、現在でも古書や図書館でその存在を確認できます。
出版年やシリーズ(第1集〜第5集)
やなせたかしさんの『愛する歌』は、全5集として刊行されました。
- 第1集:1966年9月9日、山梨シルクセンター出版部より初版発行
- ミニ詩集版:1967年12月、小型の豆本スタイルでも刊行
- 第2集・第3集:1969年前後に出版
- 第4集:1970年9月に刊行(111ページ、18cm)
- 第5集:1991年6月、サンリオより刊行(109ページ、A5判)
『愛する歌』は長い年月をかけて編まれ、やなせたかしさんの詩人としての歩みを刻んだシリーズとなっています。
サンリオ(旧・山梨シルクセンター)から刊行された経緯
初期の『愛する歌』は、サンリオの前身である「山梨シルクセンター出版部」から刊行されました。
やなせたかしさんと、のちにサンリオを大企業へ育て上げる辻信太郎氏との出会いが、この出版の大きなきっかけとなります。
1966年の第1集出版が契機となり、やがてサンリオは「詩とメルヘン」といった雑誌を創刊し、やなせたかしさんと文化活動をともにする流れを生み出しました。
現在入手できる情報(古書・レビューなど)
現在『愛する歌』は一般書店では入手困難ですが、古書店やオークションサイトで発見することができます。
特にミニ詩集版(1967年刊)は豆本として人気があり、コレクターズアイテムとなっています。
また、読者レビューでは「童謡『手のひらを太陽に』など、やなせたかしさんらしい温かい言葉が並ぶ」「ユーモラスな挿絵とともに、日常を見つめる優しいまなざしを感じる」といった感想が寄せられており、詩とイラストが一体となった作品集として評価されています。
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詩集「愛する歌」出版の経緯は?
やなせたかしさんの詩集『愛する歌』がなぜサンリオ(旧・山梨シルクセンター)から出版されることになったのか、その舞台裏を見ていきましょう。
やなせたかしと辻信太郎の出会い
やなせたかしさんが自費出版を検討していたころ、詩のことで悩むやなせさんのもとに、サンリオ創業者の辻信太郎さんが現れました。
辻信太郎氏から「うちで出版しましょう」と声をかけられたことが契機となり、実際に『愛する歌』を世に出すことにつながったのです 。
その出会いは、いかにもドラマティックでした。
雑貨メーカーに勤めていた辻信太郎氏は「よれよれのコートを着た中年男」としてやなせたかしさんの前に現れ、自ら山梨シルクセンターの代表として、詩集の出版を持ちかけたと語られています。
⇒ あんぱん八木信之介の実在モデルは誰?サンリオ創業者との関係
山梨シルクセンターから始まった出版事業
山梨シルクセンターは当初、シルク製品や雑貨を扱う小さな県の外郭団体で、本業と出版活動はまったく接点がないように思われました。
しかし、やなせたかしさんの詩集をきっかけに出版部が設立。
1966年に出版された『愛する歌』が、同社にとって最初の出版物となりました。
『愛する歌』出版の成功は、単なる書籍の刊行にとどまりませんでした。
これを機に山梨シルクセンター(のちのサンリオ)は、1973年に詩誌『詩とメルヘン』を創刊し、やなせたかしさん自身が編集長として関わる文化事業を展開します。
この雑誌は多くの詩人やイラストレーターに支持され、サンリオの文化活動の礎となりました。
やなせたかしさんの詩集出版を通じて、山梨シルクセンター(現・サンリオ)は企業文化の幅を広げ、のちのキャラクター事業や出版活動につながる重要な一歩を踏み出しましたのですね。
その背景には、辻信太郎氏の「見た目では測れない決断力」と、やなせたかしさんの詩への真摯な想いが交わった瞬間があったのではないでしょうか。
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やなせたかしの 詩集『愛する歌』の内容と魅力
やなせたかしさんの詩集『愛する歌』には、心にしみる言葉とやさしいイラストが共演し、読むだけで元気が湧いてくる作品が詰まっています。
ここではその内容と魅力を、読者の声を交えながら紹介していきましょう。
「手のひらを太陽に」など代表作との関わり
詩集の中には、やなせたかしさんが作詞した童謡「手のひらを太陽に」も収録されています。この歌は1961年に制作され、翌1962年にはNHKの『みんなのうた』で放送されました。
その歌詞は、「ぼくらはみんな 生きている…手のひらを太陽に透かしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮」という一節から始まり、いのちの尊さや喜びをシンプルに描く生命賛歌として高い評価を受けています ね。
まさにこの詩集は、「生きている」喜びを丁寧に描写する代表作を含む、やなせたかしさんの創作世界の深さを感じさせるものです。
わかりやすく心に響く言葉づかい
『愛する歌』の詩は、わかりやすい言葉でありながら、日常の片隅にある哀しさや優しさ、切なさを自然に映し出します。
『愛する歌』は難しい言葉を使わず、子どもでも理解できるような平易な文章で綴られています。
それでいて、そこに込められた詩の世界や挿絵からは、どこか切なさや温もり、そして優しさがにじみ出ており、読む人の心をやわらかく包み込んでくれるような一冊です。
実際に読んだ人たちからは、こんなレビューが投稿されています。
「弟からのプレゼント。手のひらを太陽になど心に響くテンポ良い詩や心寂しい詩やわかりやすい言葉で伝える詩集。我が家の本棚にはこのシリーズが入っている」
(読書メーター)
さらに第2集については、
「第一集が楽しかったので買ってもらったのだが、義務教育の真ん中くらいの年齢の自分にはちょっと難しかった」
(読書メーター)
といった若い読者の反応もあり、世代により受け止め方が変わる奥深さがあることもうかがえます。
『愛する歌』は、見た目以上に味わい深い詩とイラストが響き合い、読む人の心に優しく寄り添う一冊です。ドラマの世界だけではなく、実際に手に取って味わってみたくなる魅力がありますね。
💡 注意:『愛する歌』は刊行時期や版によって仕様が異なり、初期の版にはやなせたかしさん自身によるイラストが添えられているものもありますが、再刊本や一部の集では詩文のみの場合もあります。
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やなせたかしと『愛する歌』が残したもの
詩人としてだけでなく、多彩な文化活動へと広がる礎となったやなせたかしさんと詩集『愛する歌』。
その歩みと影響を、以下の観点から詳しく見ていきましょう。
詩人としての歩みの原点
やなせたかしさんにとって詩と絵は一体の存在でした。
著書によれば、詩を書けば絵が浮かび、絵を描けば言葉が湧いてくるという創作スタイルは、やなせたかしさんの原点であり、詩とイラストを融合させた「愛する歌」シリーズにその神髄が表れています。
さらに、『愛する歌』に収録された代表作「手のひらを太陽に」は、困難な時代の中で「誰にでもわかる言葉で共感を呼ぶ」やなせたかしさんの詩人としての確立を象徴する作品であり、詩集はその原点を物語る一冊です。
サンリオとの関係の継続
『愛する歌』のヒットをきっかけに生まれた雑誌『詩とメルヘン』は、1973年にサンリオから創刊され、やなせたかしさんが編集長として責任を担いました。
この雑誌は、投稿者の詩にプロのイラストレーターが絵を添えるという読者参加型の形式が特徴で、「素人の投稿に絵をつけることで自己肯定感を与え、コミュニティを広げた」と評価されています。
また、創刊号から30年間、表紙絵の制作や編集もやなせたかしさん自身が手がけ、詩とイラストを通じた世界を読者に届け続けました。
現代に受け継がれるメッセージ
やなせたかしさんが詩と絵で表現した「優しさ」は、戦争や苦境を乗り越えてきた人生を支える力となりました。詩集『愛する歌』やその後の活動から伝わるこの想いは、今も多くの読者に届いています。
展覧会「愛をうたう詩人・やなせたかし」では、『愛する歌』の初版本や自筆原稿が展示され、やなせたかしさんの多面的な創作の奥深さを再確認する機会となっています。
また、作品の背景には戦争体験からくる深い優しさがあり、それは絵本『やさしいライオン』や「なぜ ぼくらは 殺しあうのか」といった詩にも通底するメッセージであり、今もなお普遍的に響いています。
このように、『愛する歌』を起点とした詩人としての歩みだけでなく、サンリオとの文化の継続や、現代にまで受け継がれるメッセージ性にも大きな意義があることが見えてきますね。
以上、今回はやなせたかしさんの実在する詩集『愛する歌』と、その出版に関わったサンリオ創業者・辻信太郎さんとのエピソードについてお伝えしました。
ドラマ『あんぱん』に登場する物語の背景には、こうした史実が息づいており、詩と文化をめぐる深い繋がりを改めて感じさせてくれますね。
⇒ あんぱん|中里佳保のモデルは中園ミホ?やなせたかしとの文通エピソード
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