朝ドラ『あんぱん』第20週では、嵩が所属する「独創漫画派」が登場し、とても楽しそうなメンバーも出てきましたね。
この独創漫画派とは実在した団体なのでしょうか?
この記事では
- 独創漫画派の実在モデルとされる独立漫画派の概要
- 史実メンバーとドラマ登場人物の比較
- やなせたかしさんと漫画集団との関わり
についてお伝えします。
独創漫画派のモデルは独立漫画派?
朝ドラあんぱんの嵩(たかし)が仲間たちと所属する、ちょっと風変わりな漫画家集団。それが「独創漫画派」です。
戦後の混乱期、商業漫画の枠には収まらない表現を追い求める人たちの集まりとして登場します。
ストーリーの中でも、嵩が漫画家として羽ばたくきっかけになる重要な存在になりそうですね。
独創漫画派のモデルは独立漫画派?
この独創漫画派、実は史実の「独立漫画派」が実在モデルでは?と言われています。
独立漫画派は1940年代後半〜1950年代にかけて活動した、前衛的な漫画家グループ。
戦後間もない頃、「漫画だって芸術だ!」という熱い思いを胸に集まった面々が、同人誌『がんま』を発行しながら実験的な作品を次々に発表しました。
メンバーは、商業誌や貸本漫画とはひと味違う、ナンセンス・風刺・抽象的表現を駆使。
1957年の『がんま』第2号では、あの岡本太郎さんや辻まことさんとの対談まで掲載され、「漫画を純粋芸術として位置づける」姿勢を強烈にアピールしていました。
「独創漫画派」が独立漫画派に近いとされる理由
「独創漫画派」が独立漫画派のモデルになっていると考えられる理由はあんぱんに登場するメンバーにあります。
登場する3人のメンバーを見ていると、「あれ、この人…史実のあの漫画家に似てる?」と思わせるポイントがちらほら…。
もちろんドラマなので、そのまま実名で登場するわけではなく、複数の人物の特徴や作風をミックスしたキャラクターになっているようですね。
こうしたリンクを踏まえると、独創漫画派は独立漫画派をモデルにしている可能性は高そう。
では、その史実の独立漫画派にはどんな人たちがいたのか…次でじっくり見ていきましょう。
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独創漫画派のモデル・独立漫画派の史実メンバーは?
独創漫画派のモデル・独立漫画派にはどんなメンバーの方々がいたのでしょうか。
実在メンバーについてみていきましょう。
実在メンバーは誰?
独立漫画派、通称“独漫派”の主要メンバーには、
- 小島功さん:創設期の中心人物で、美人画やユーモア漫画が特色。『仙人部落』などを手掛け、日本漫画家協会の会長も務めました
- 久里洋二さん:アニメ・絵本・広告など幅広く活躍した漫画家。独自の表現を築きました
- 針すなおさん:イラストや似顔絵で知られ、立体的な多才さを持つ作家として注目されました
といった名だたる顔ぶれがありました。
もともとは「前衛漫画会」などに所属していた若手たちが、1947年に「東京漫画人集団」の解散を機に新たに結成したのがこのグループです。
特に小島功さんは創設期を支えた中心的存在。針すなおさんは現在92歳です。
ドラマ登場キャラと史実メンバーの関係
『あんぱん』に登場するキャラたちは、実在の漫画家たちからインスピレーションを得た「パッチワーク的」な創作です。
例えば:
- 大島コオ:美人画の得意なキャラクターであり、小島功の特徴とリンクしている可能性があります。
- 久里田洋:名前も似ており、褒め上手な性格も史実の久里洋二との共通点が感じられます。
このように、ドラマならではのキャラ造形が史実の人物像と重なる点も多く、知っておくことでさらに楽しめますね。
同人誌『がんま』
そして何より外せないのが、彼らが発表の場として活用した同人誌『がんま』。
1956年の創刊号から始まり、長新太や井上洋介ら17名以上が参加した第4号まで制作され、実験精神に溢れた作品が多数掲載されました。
この同人誌は、漫画を“芸術”として追求した彼らの強い意志の象徴。
朝ドラあんぱんの「独創漫画派」でも有名な同人誌が登場するのでしょうか、楽しみですね。
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やなせたかしと独立漫画派の関わり
さて、やなせたかしさんがどんな経緯で「独立漫画派」と関わるようになったのかその経緯をみていきましょう。
戦後すぐ、上京&兼業漫画家のはじまり
終戦直後、高知新聞社に就職したやなせさん。
その頃から“漫画家への願い”はくすぶっていましたが、1947年に上京し三越の宣伝部に入ったことで、生活の安定と創作の狭間を生きることに。
三越の仕事のかたわら、漫画の投稿活動に精を出し、同人誌や雑誌へ作品を発表することが日常となりました。
そして若手による「独立漫画派」に参加したのもこの時期です。
会社帰りは独立漫画派の事務所で
好きだからこそ、“会社員 × 漫画家”の二足の草鞋スタイルに自然と熱中していたやなせたかしさん。
「いつも銀座の事務所に立ち寄り、漫画を描きまくった」とのエピソードもあります。
この期間、漫画の収入が徐々にサラリーを追い抜き、ついには1953年、漫画家として独立する決断をするきっかけにもなりました。
同人誌の仲間たちから、フリーの表現者へ
独立漫画派では、小島功さんをはじめとした漫画家仲間との交流があり、「同業者のきずなを持ちながら創作を重ねる喜び」はやなせさんにとって大きな刺激だったでしょう。
その後、漫画家として独立したやなせたかしさんは、舞台美術や放送作家、絵本作家、作詞家……と多方面で活躍。
他ジャンルのクリエーターたちとも交流が広がり、人脈としても力強い財産になりました。
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独創漫画派のモデル?“漫画集団”の可能性も?
ドラマ『あんぱん』の「独創漫画派」。そのモデルとして注目されるもう一つの存在が、戦後の漫画界に実在した「漫画集団」です。
個性派ぞろいのメンバーとその活動スタイルを見ていきましょう!
漫画集団とは?
“漫画集団”は、アメリカ流のナンセンス漫画=いわゆる“大人漫画”を描く漫画家を中心とした、日本の漫画家団体です。新聞や一流雑誌中心に発表され、1960年代にストーリー漫画が主流になるまでは、漫画の本流ともされました。
その前身は1932年に杉浦幸雄さんと近藤日出造さんらによって結成された「新漫画派集団」。のちにこの名前が「漫画集団」へと改称された歴史を持っています。
メンバーがすごい!手塚治虫からやなせたかしまで
「漫画集団」の華やかな時代には、手塚治虫さん、赤塚不二夫さん、石ノ森章太郎さん、藤子不二雄さん、ちばてつやさんといった、戦後漫画を築いた錚々たる面々が所属していました。
そしてやなせたかしさんも、その一員として名を連ねています。
公式プロフィールによると、やなせさんは「漫画集団」の所属団体の一つとして明記されており、1960年代以降、漫画集団のメンバーとして活動していたことが確認されます。
漫画集団と独立漫画派、何が違う?
漫画集団と独立漫画派の二つの組織には明確な違いがありました。
- 漫画集団:新聞や雑誌向けで、ユーモア/ナンセンスを得意とする“大人向け”漫画が主体。
- 独立漫画派:商業主義から距離を置き、同人誌『がんま』などで漫画を“芸術”として追求する創作集団。
この感じだと、あんぱん第20週で登場している独創漫画派のモデルは、やはり独立漫画派の可能性が高いと言えそうですね。
これから、漫画集団も朝ドラあんぱんで登場することになるのか、そのへんも注目です。
以上、今回は朝ドラ『あんぱん』に登場する「独創漫画派」のモデルについてお伝えしました。
「独創漫画派」はこれからも、嵩の活躍の舞台となるのかどうか、あんぱんの続きが楽しみですね。
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