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あんぱん トピックス

やなせたかしの家系図|子ども(息子)はいる?子孫・家族構成を紹介

やなせたかしさんに子どもはいたの?──そんな疑問を持つ方も多いのではないでしょうか。朝ドラ『あんぱん』で描かれる人物像と重ねて、やなせさんの家族や人生に関心が集まっています。

この記事では、

  • やなせたかしの家系図と家族構成
  • やなせたかしに子ども(息子)や子孫はいるのか?

についてお伝えします。

 

やなせたかしの家系図と子孫の現在

やなせたかし

やなせたかしさんに子どもがいたのか、家系図をたどれば見えてくることがあります。

まずは、やなせさんがどんな家に生まれ、どんな家族に囲まれて育ったのか。

やなせたかしさんの家系図をみながら、“息子”や“孫”といった子孫の存在についてもみていきましょう。

 

やなせたかしの家系図

やなせたかしの家系図

やなせたかしさん(本名:柳瀬嵩)は、高知県出身。

実は、江戸時代から続く庄屋の家柄で、柳瀬家は300年ほどの歴史を持つ旧家だとか。

一説には、壇ノ浦で敗れた平家の流れをくむとも言われていて、かなり由緒ある家系。

つまりやなせたかしさんは、由緒正しき“いいとこの子”。

でも、先ほどご紹介したとおり、その後の人生は必ずしも平穏ではなく、幼いころに父を亡くし、母とも生き別れ、伯父夫妻のもとで育てられるという複雑な家庭環境で成長します。

 

やなせたかしの息子や子孫の現在は?

そんなやなせ家の家系図をひもといてみると、出てくるのは父・清さん、母・登喜子さん、弟の千尋さんといった顔ぶれ。

ですが、その先――つまりやなせさんの“子ども”や“孫”にあたる人物は、どこにも記されていません。

 

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やなせたかしの家族構成

やなせたかしさんの幼少期から戦前・戦中期、そして創作へと至る人生を形作ったのは、家族との関係と複雑なエピソードの積み重ねでした。

ここでは、父・母・弟・伯父夫妻との関係を中心に、やなせたかしさんの家族構成と生い立ちを紐解きます。

 

父の急逝と母の再婚──幼少期の不安定な暮らし

1919年、大正時代に東京で生まれたやなせたかし(柳瀬嵩)さん。

父・柳瀬清さんは記者として活躍していましたが、中国勤務中、31歳で急逝。その後、幼い嵩は母・登喜子と共に高知県へ戻ります。

しかし、母の再婚により7歳の時に伯父・柳瀬寛さん夫妻に引き取られることに。

母と生き別れになった幼少期の不安定さが、後の創作と人生観に影響を及ぼしたと考えられています。

 

弟・千尋との関係──優秀な弟への劣等感と甘えた心情

やなせさんには弟・柳瀬千尋さんが2歳年下にいました。

父・清さんの死後、千尋さんは伯父夫妻の養子となり、可愛がられながら育ちます。

一方で、兄であるやなせたかしさんはその立場の差に苛立ちや劣等感を抱くように。

「養子になった千尋はけっこう優遇されていたが、僕は居候のようだった」

と語っている節もあり、心を閉ざす要因ともなりました。

 

伯父・柳瀬寛との同居──育ての親との急な別れ

伯父・寛さんは内科小児科医で、教養と趣味を兼ね備えた人物。

やなせたかしさんと千尋さんを同居させ、精神的にも金銭的にも支えました。

嵩さんは寛夫妻を「お父さん」「お母さん」と呼び、深い感謝を抱いていました。

しかし1939年、伯父は50歳で心臓麻痺または脳溢血によって急逝。

東京滞在中に知らせを受け、卒業制作を完成させてから帰郷したやなせさんは、既に棺の中に横たわる伯父に再会します。

後に著書で「十年分の涙が出て止まらなかった」と綴るほどの深い喪失感を経験しました 。

 

複雑な幼少期が後の創作に与えた影響

父の死、母の再婚、弟や伯父との関係。

こうした経験は嵩に寂しさと美術への逃避先を与えました。

幼い頃から絵や本にふれ、孤独と想像力が彼の内面を深めていったのです。

少年時代の絵への没頭が、後の「アンパンマン」誕生につながる上での原点だったことは間違いありません。

⇒ やなせたかしの母親・柳瀬登喜子さんの生涯|その後は?実話を調査

 

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やなせたかしに子ども(息子)はいたの?

さきほどご紹介した、やなせ家の家系図をたどると、両親や弟などの名前は確認できますが、「子ども」の記録は見当たりません。

朝ドラあんぱんの第21週でも

主人公ののぶが、

「嵩さんの、赤ちゃんを産むこともできんかった…。嵩さんは子どもが欲しかったやろうに…。」

というシーンが出てきましたね。

 

実際に、やなせたかしさん自身に子どもはいたのでしょうか?

 

実は「子どもはいない」夫婦だった

やなせたかしさんと小松暢さんは、戦後すぐの1947年に結婚。

以来、50年近くを連れ添うおしどり夫婦として知られていましたが、実はふたりの間に子どもはいなかったことが公になっています。

生前のインタビューや出版物を見ても、家族に関する話題に「子ども」が登場することはほとんどありません。

創作活動にすべてを注いだふたりにとって、家庭生活はあくまでも“作品を生み出す土壌”だったのかもしれません。

 

「アンパンマンは、ふたりの子ども」

実子はいなかったやなせ夫婦ですが、そのかわり、ある“特別な存在”を「子ども」と呼んでいました。

それが、国民的キャラクターとなった「アンパンマン」です。

やなせさんは生前、たびたびこう語っていたそうです。

「アンパンマンは、暢とふたりで育てた“子ども”のようなもの」

この言葉は、テレビや出版関係者の証言からも多く伝えられています。

“子ども”という存在を授からなかった夫婦が、それでも愛情を注げる対象として、アンパンマンを創作し育てていった。

しかもそれは、現実の子どもたち何百万人の心に届く存在になった。

──この背景を知ると、あの丸顔のヒーローが少し特別に見えてきますね。

 

“息子”や“子孫”のウワサはホント?

ところがネット上では、「やなせたかしの息子がいるらしい」「子孫が○○にいる」なんていうウワサが時おり飛び交います。

ですが、これらの話には注意が必要です。事実として、やなせさんご夫婦には子どもがいないため、「息子」「孫」「子孫」にあたる人物はいないのです。

ではなぜ、そんなウワサが出回っているのでしょうか。

一因として考えられるのは、「柳瀬」という名字の親戚筋や、弟・千尋さんの存在です。

弟に子どもがいた可能性は否定できませんが、それを「やなせたかしの息子」と誤って紹介してしまっているケースもあるようです。

あるいは“アンパンマンの生みの親=父”というイメージから、「息子が継いでいる」と連想する人もいるのかもしれません。

いずれにしても、やなせさん自身が語った「子どもはいない」という事実を尊重するのが大切ですね。

 

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やなせたかしに子どもがいなかった理由とは?

やなせたかしさんと妻・小松暢さんのあいだに、子どもがいなかった理由について、ふたりが公に語った記録はほとんどなく、本当のところは、わかっていません。

ただ、やなせ夫妻の歩んできた人生や、創作にかけた情熱の深さを見ていくと、「子どもを持たないこと」を含めたひとつの生き方が浮かび上がってくるようにも思えます。

ここでは、やなせたかしさんとのぶさんの生き方や関係性に少しだけ視点を寄せながら、その背景を探ってみましょう。

 

“同志”としての絆が強かった夫婦関係

やなせたかしさんと小松暢さんの出会いは、1946年の高知新聞社。

当時、暢さんは高知新聞初の女性記者として活躍し、「ハチキン」と称される快活でタフな性格でした。

一方で創作に没頭するやなせさんを、暢さんは精神的にも経済的にも支える頼もしい存在でした。

やなせさん自身が「仕事以外はすべてカミさんに頼っていた」と振り返るほど、家庭と制作活動を支える生活の柱となっていたのです。

暢さんはやなせスタジオの経理や雑務にも深く関わり、作品づくりの裏方としてのパートナーでもありました。

まさに「同志」と呼ぶにふさわしい支え合う関係性が、ふたりの基盤だったのです。

 

創作に全力、芸術への情熱が日常だった

創作に対する情熱は、やなせさんひとりではなく、暢さんとの共同戦線でした。

戦後間もない不安定な時代に、出版社からの依頼だけでは収益が不安定だった期間も、暢さんは「収入がなければ私が働く」と宣言し、創作の道に夫を後押ししています 。

やなせさんは東京へ進出後も、日本橋三越の広告展入選などさまざまな仕事に取り組みましたが、そうした多忙な制作活動の背景には、常に暢さんの支えと理解があったからこそでした。

 

「作品を子どものように育てた」という価値観

ふたりには実子はいなかったけれど、それは悲しみや虚しさではなく、むしろ新しい形の「親になる姿」だったのかもしれません。

やなせたかしさんは何度も「アンパンマンは、僕たち二人が育てた子どものようだ」と語っていました。

この価値観は、作品誕生の原動力になりました。

暢さんが「やってみなさいよ」と背中を押したからこそ、54歳の時に『あんぱんまん』を描き始める勇気が湧いたというエピソードも伝わっています。

子どもを持たなかったからといって、人生に欠けたものがあったわけではなく、ふたりにとっては“作品こそが命を注いだ存在”だったのです。

⇒ やなせたかしは何歳でアンパンマンを描いた?誕生のきっかけと秘話を紹介!

 

以上、今回はやなせたかしさんの家系図などについてお伝えしました。

子どもや孫はおらず、直系の子孫にあたる人物はいないことがわかっています。

朝ドラ『あんぱん』では、そんなやなせさんと妻・暢さんの人生が丁寧に描かれており、ふたりが“作品を子どものように育てた”歩みが改めて胸に響くのではないでしょうか。

血のつながりはなくとも、アンパンマンという存在が、今も多くの人の心に生き続けているのですね。

 

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