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ばけばけ傳(でん)のモデルは小泉弥右衛門湊!死因は?|堤真一が演じる元士族の実在モデル

NHK朝ドラ「ばけばけ」に登場する雨清水傳(でん)。

堤真一さんが演じるこの人物には、松江藩士の小泉弥右衛門湊という実在のモデルがいます。藩の重役を務め、明治維新後には事業にも挑んだ湊ですが、その生涯は波乱に満ちていました。

この記事では

  • 小泉弥右衛門湊の人物像と家柄
  • 明治維新後の挑戦と没落
  • 死因と最期のエピソード

についてお伝えします。

小泉弥右衛門湊とは?|ばけばけ雨清水傳の実在モデル

ばけばけ雨清水傅

NHK朝ドラ「ばけばけ」に登場する雨清水傳(でん)のモデルは、小泉弥右衛門湊です。

松江藩の武家社会において上級士族に位置づけられた名家の当主であり、幕末の動乱期には武芸や指揮で活躍しました。

さらに娘・セツ(のちの小泉八雲夫人)の父としても知られています。

藩政と家庭の双方で重い責任を担い、まさに「時代の転換期を生きた侍」といえる存在でした。

 

松江藩上士・小泉家の由緒ある家柄

小泉家は、初代が因幡出身の武士で、讃岐丸亀藩に仕えた後、松江藩祖・松平直政に召し抱えられたことから始まります。

代々、藩内で武士50人を統率する番頭を務め、格式の高い「上士」の家柄とされてきました。藩主に直接拝謁が許される数少ない家系であり、藩中でも「一国中の貴族」とも呼ばれる存在だったのです。

屋敷は松江城下・南田町にあり、堀や松江城を望む立地に建てられた広壮な邸宅。

敷地は間口約32メートル、奥行き60メートルもの広さで、武家屋敷の中でも際立つ規模を誇っていたといいます。

藩内での地位と格式を体現する場所だったのですね。

 

父としての姿とセツ誕生の背景

小泉湊は1837(天保8)年頃の生まれで、慶応3年(1867)に父・岩苔の病気引退を受けて家督を継ぎました。

まだ31歳の若さで当主となり、藩の兵学所では取締役を務めるなど、藩政や軍事面で重要な役割を担っていました。

小柄ながらも意志の強さと覇気に富んだ人物で、若いころから武芸に秀で、長州戦争や京都守衛など幕末の緊張した局面でその力量を発揮したと伝えられています。

妻・チエは、松江藩家老・塩見増右衛門の一人娘で、城下でも「御家中一番の器量よし」と称された女性でした。

14歳で小泉家に嫁ぎ、30人近い奉公人に囲まれた名家で育った気品ある女性です。

夫妻の間には11人の子が生まれましたが、そのうち5人は幼くして亡くなり、セツは6番目の子として育ちました。

セツが誕生したのは、慶応4年(1868)2月4日、まさに戊辰戦争が始まった直後です。時代の転換点での誕生であり、この背景はのちの彼女の人生とも重なっていきます。

⇒ 雨清水タエのモデルは小泉チエ!家系図は?ばけばけ北川景子が演じる母の素顔

 

維新の動乱を生き抜いた武士

セツ誕生の頃、松江藩はまさに進退を決断しなければならない状況にありました。

京都で官軍と幕府軍が戦った鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗北し、松江藩は官軍に従うか幕府に忠義を尽くすかという選択を迫られていたのです。

松平家は徳川将軍家の一門という立場から判断が難しく、藩士たちは重苦しい空気の中で日々を過ごしていました。

そうしたなかで湊は、家督を継いだばかりの当主として家を守り、武士としての責務を果たそうと奔走しました。

幕末から明治へ――小泉弥右衛門湊は、まさに「武士の世の終わり」を目の当たりにした人物だったのです。

 

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明治維新後の小泉湊|機織会社の設立と没落

武士の時代が終わりを告げると、多くの士族が生き方を変えざるを得なくなりました。

松江藩の名家に生まれた小泉弥右衛門湊も、その例外ではありません。

明治政府の政策に従い、家禄を手放して事業に挑んだ湊は、時代の波に乗ろうと奮闘しました。しかしその試みは栄光と挫折の両方をもたらすことになります。

家禄奉還で挑んだ新しい事業

1873(明治6)年に徴兵令が出され、武士が戦う時代は完全に終わりを迎えます。

政府は士族に対して「家禄奉還」を求め、6年分の家禄を一括で支給し、その資金で新しい仕事に就くよう促しました。

小泉湊も1875(明治8)年にこれに応じ、家禄を返上。

その資金をもとに松江で機織会社を設立し、自ら社長に就任しました。

士族の娘たちを織子として多数雇い入れ、反物を生産。製品は松江から大阪方面にまで流通したと伝えられています。

 

小泉セツも働いた機織会社

小泉セツ

この会社で機を織ったひとりが、湊の娘であり後にラフカディオ・ハーンの妻となるセツです。

小学校をわずか4年で卒業したセツは、家計を助けるために機織りに励みました。セツが織り上げた木綿の見本帳は現在も松江市の小泉八雲記念館に残されており、当時の努力を物語っています。

名家の娘でありながら、時代の流れに応じて労働に従事する――セツの姿は、没落士族の現実と新時代の女性像を象徴しています。

 

倒産と小泉家の衰退

しかし、順調に見えた機織会社も、時が経つにつれて経営が立ち行かなくなりました。

1886(明治19)年ごろには会社が倒産し、小泉家は二度の転居を余儀なくされます。

かつての上士の家柄も今や困窮し、親類を頼って身を寄せるまでに没落してしまったのです。

その不幸は事業の失敗だけにとどまりませんでした。

次男・武松は19歳で早逝し、湊自身もリウマチに倒れて床に伏すようになります。

かつて武芸に秀で、藩政の要職を担った湊も、病のため次第に力を失っていきました。

家を支える柱を失った小泉家は、名門から一転して苦しい生活へと転落していったのです。

 

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小泉弥右衛門湊の死因は?|病に倒れた最期の姿

明治維新後の挑戦は志半ばで終わり、小泉湊は病に倒れます。

かつて藩の要職を務め、家族を導いた強き父は、病床で苦しむ姿へと変わっていきました。その最期は、家族にとっても忘れがたい壮絶なものでした。

リウマチで床に伏す日々

1880年代半ば、小泉湊を襲ったのはリウマチでした。

激しい関節の痛みに苦しみ、やがて起き上がることも難しくなります。若き日に武芸で鍛えた体は次第に動かなくなり、日常生活さえままならなくなっていきました。

事業の失敗に続く病の長患いは、家族にとっても重い影を落としました。

 

家族との葛藤と壮絶なエピソード

病が進行してからも、湊の気性は衰えてはいませんでした。

ある朝、寝床から立ち上がった彼は、南側の廊下にふらつきながら出て、傍らの鳥籠を蹴り落とし、息子・藤三郎の襟首をつかんで「親不孝者め」と叱責し、馬の鞭を振り下ろそうとしたそうです。

周囲が慌てて押さえ込み、再び寝床に戻されましたが、その姿には病床にあってなお家長として子を戒めようとする強い意志が感じられます。

この出来事の直後から湊の容態は急速に悪化したと伝えられています。

 

50歳で迎えた波乱の死

結局、小泉湊の病は癒えることなく、1887(明治20)年、数え50歳で生涯を閉じました

松江藩の名家に生まれ、武芸や藩政でその才を示し、さらに実業家としても挑戦した湊の人生は、最後に病に打ち勝つことはできませんでした。

残された家族は、働くことを知らないと評された妻チエと、家計を顧みなかった藤三郎。

家の名声はすでに失われ、かつての上士の家は大きく変貌していました。

 

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ばけばけ雨清水傳役は堤真一

朝ドラ「ばけばけ」で、物語を支える重要な人物・雨清水傳(でん)を演じるのは堤真一さんです。

名門の家長としての重厚さと、家族を包み込むあたたかさをあわせ持つ傳の姿を、ベテラン俳優である堤さんがどう表現するのか注目されています。

ここでは、堤真一さんのプロフィールや、傳という役柄に込められた魅力をご紹介します。

堤真一のプロフィール

ばけばけキャスト堤真一

堤真一さんは1964年7月7日、兵庫県西宮市の生まれ。

若い頃はジャパンアクションクラブ(JAC)に所属し、真田広之さんの付き人を務めながら、アクションや舞台で経験を積みました。

身体を張る下積みを経て演技の幅を広げ、やがて舞台役者として注目を集めるようになります。

テレビドラマでは「やまとなでしこ」「恋ノチカラ」、映画では「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズや「容疑者Xの献身」など、幅広いジャンルで印象的な役を演じてきました。

コメディからシリアスまで自在に演じ分けられる演技力と、確かな存在感で長年第一線を走り続けています。

現在はシス・カンパニーに所属し、舞台にも積極的に出演。

重厚感のある演技はもちろん、繊細な人間ドラマを丁寧に表現できる俳優として、各方面から厚い信頼を寄せられています。

 

傳を演じる堤真一の魅力

2025年前期朝ドラ「ばけばけ」で、名家の家長・雨清水傳を演じる堤真一さん。

制作統括の橋爪國臣氏が

“松江の中でも随一の名門を描くにあたり、揺るがない存在感を持つ俳優をキャスティングした”

と語り、堤真一さんに白羽の矢を立てたことを明かしています。

 

さらに演出の村橋直樹氏は、

“揺らがないように見えるが、内側に揺らぎを抱える――その二面性を堤さんなら演じられる”

とコメント。

威厳と品格を漂わせながらも、人間らしい揺らぎを内に抱える――

そんな雨清水傳というキャラクターに、堤真一さんの豊かな演技力がどう息を吹き込むのか、大きな見どころとなりそうですね。


以上、今回は小泉弥右衛門湊の人物像と、その生涯、そして死因についてお伝えしました。

朝ドラ「ばけばけ」では、堤真一さんが雨清水傳としてどのように演じるのか、史実との違いや重なりを楽しみながら見届けたいですね。

参考:
長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』
根岸磐井『出雲における小泉八雲』

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