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ばけばけ トピックス

小泉セツの家系図|子供や子孫の現在は?朝ドラばけばけモデルの家族構成

小泉セツは、松江出身で作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻として知られる人物です。

2025年の朝ドラ「ばけばけ」では、彼女をモデルにしたヒロインも登場し、注目が集まっていますね。

この記事では

  • 小泉セツの家系図と家族構成
  • ハーンとの間に生まれた子供について
  • 子孫が現在どのように続いているのか

についてお伝えします。

小泉セツの家系図

小泉セツは、島根県松江市で松江藩士の家に生まれ、のちに外国人作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻となった女性です。

小泉セツはどのような家系に生まれたのでしょうか?

家族のつながりを中心に見ていきましょう。

松江藩士の家系に生まれたセツ

小泉セツ

セツは1868年、松江藩士・小泉湊と母チエの次女として生まれました。

ところが生後まもなく、子どものいなかった親戚の稲垣家に養女として迎えられます。これは、あらかじめ両家の間で「子どもが生まれたら稲垣家へ養子に入れる」という約束があったためだと伝えられています。

その後、明治の世を生き抜く中で、セツは松江で英語教師として赴任していたラフカディオ・ハーンと出会い、1891年に結婚。ハーンは日本に帰化して「小泉八雲」と名乗り、二人は文学を通して互いを支え合う人生を歩んでいきました。

家系図の全体像(実家・夫・子供)

小泉セツの家系図

では、セツの家族関係を整理してみましょう。

実家(松江藩士の家)

父:小泉湊
母:チエ(塩見家の出身と伝えられる)

養家(稲垣家)

養父:稲垣金十郎
養母:稲垣トミ

兄弟姉妹

セツは「6人兄弟」の次女として生まれたと伝えられています。ただし、長男・次男の2人は幼くして亡くなったともいわれています。

現在名前が伝わる兄弟姉妹は次の通りです:

  • 長男:小泉氏太郎
  • 姉:小泉スエ
  • 次男:小泉武松
  • 弟:小泉藤三郎(2歳年下)
  • 弟:小泉千代之助

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

子供

  • 長男:小泉一雄(かずお)(1893年生まれ、父の著作整理などに尽力)
  • 次男:稲垣巌(いわお)
  • 三男:小泉清(きよし)
  • 長女:小泉寿々子(すずこ)

子孫(現在)

孫やひ孫世代にあたる人々がおり、文化や研究活動に関わる形で小泉家の名を今に伝えています。

セツの人生は、実家から養家へ、そしてハーンとの結婚を経て、多くの子どもや子孫へとつながっていきました。

続いては、それぞれの子どもたちや現在の子孫について、もう少し詳しく紹介していきます。

 

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小泉セツの子供について

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)

小泉セツとラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の間には4人の子供がいました。ここでは、その名前や誕生年、さらに成長してからどのような人生を歩んだのかを紹介します。

ハーンとの間に誕生した子供たち

  • 長男:小泉一雄(1893年生まれ)
  • 次男:稲垣巌(1897年生まれ)
  • 三男:小泉清(1899年生まれ)
  • 長女:小泉寿々子(1903年生まれ)

ハーンが亡くなった1904年の時点で、一雄は10歳、巌は6歳、清は4歳、寿々子はまだ1歳と幼い子供たちでした。

子供たちの名前やその後の歩み

小泉セツと八雲の子供たちはどのような人生を送ったのでしょうか。ひとりずつ見ていきましょう。

小泉一雄(長男)

一雄は父の文学的な遺産を守り伝える役割を担った人物です。著書『父小泉八雲』を執筆し、ハーンの人となりや家族との思い出を世に残しました。また、教育者としても活動し、生徒や周囲から「人格円満な良き教師」と評されています。父の遺稿整理や書簡の編集にも尽力し、文学研究において欠かせない存在となりました。

稲垣巌(次男)

巌は幼いころ、母セツの養家である稲垣家の養子となったため「稲垣」の姓を名乗りました。英語教育に携わった記録があり、学問の道へと進んだことが伝わっています。京都帝国大学に学んだという話もありますが、その後は中退したとも言われ、人生の軌跡には謎も残ります。巌は恋愛や結婚のエピソードも語られていますが、晩年は病に倒れ、比較的早く世を去ったとされます。

小泉清(三男)

清は芸術の道を志した人物でした。東京美術学校(現在の東京藝術大学)に進み、美術を学んだと記録されています。画家として活動したとも伝わり、彼の作品は断片的に伝えられるものの、詳細な記録は限られています。それでも、兄弟の中で文化的な表現に強く惹かれた存在として記憶されています。

小泉寿々子(長女)

寿々子は1903年に生まれましたが、翌年に父ハーンが亡くなったため、父の記憶を直接語ることはほとんどできない立場にありました。

幼少期には病弱だったとされ、その後の人生について残されている記録は多くありません。それでも、唯一の娘として家族の中で大切に育てられたことは間違いないでしょう。

 

学問や文化に関わった人物も

4人の子供の中で特に学問や文化に関わったのは、長男の一雄と三男の清でした。一雄は父の著作を後世に伝える役割を果たし、教育現場でもその人柄を高く評価されました。清は芸術を通じて自己表現を追い求め、文化的な足跡を残しました。

一方で、次男の巌や長女の寿々子も、それぞれの人生を歩み、巌は教育や家族を通して、寿々子は母セツを支えながら家系を未来へとつなげていきました。こうした子供たちの存在があったからこそ、小泉家の系譜は現在まで受け継がれているのです。

 

⇒ 朝ドラ「ばけばけ」モデル一覧|登場人物の実在の人物を徹底紹介

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小泉セツの子孫の現在は?

セツとハーン(小泉八雲)の子どもたちから始まった系譜は、今も続いています。今では曾孫や玄孫の世代にあたる方々が、それぞれの場所で活躍しています。

ここでは小泉凡さん、小泉達矢さん、守谷天由子さんについてご紹介します。

みなさん「八雲の血を引く子孫」として活動されています。

小泉凡さん

小泉セツさんとラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の曾孫にあたるのが、小泉凡さんです。

1961年に東京で生まれ、1987年に松江へIターン。以来、八雲ゆかりの地で文化や研究に携わり続けています。

凡さんは現在、小泉八雲記念館の館長を務めるほか、島根県立大学短期大学部の名誉教授としても知られています。妖怪や怪談といったテーマを入り口に、地域の文化資源を掘り起こし、観光や文化創造につなげる実践研究を続けてきました。

また、八雲が大切にしていた「オープン・マインド(心を開くこと)」を社会に活かすプロジェクトを、世界各地のゆかりの地で展開しています。活動は国内にとどまらず、海外交流の分野にも広がっているのですね。

著書も多く、『民俗学者・小泉八雲』(恒文社、1995年)、『怪談四代記―八雲のいたずら』(講談社、2014年)、『小泉八雲と妖怪』(玉川大学出版、2023年)などを執筆。子孫としてだけでなく、研究者・実践者として八雲の文化を現代に伝え続けています。

 

小泉達矢さん

小泉達矢さんもまた曾孫世代にあたり、先に紹介した小泉凡さんとは「はとこ」の関係になります。

1962年(昭和37年)、東京都港区に生まれた達矢さん。暁星高等学校を卒業後、東海大学工学部通信工学科に進学しましたが中退。

その後、東京YMCA英語専門学校の実務英語科を卒業されています。

現在は機械製造会社に勤務し、海外営業を担当。グローバルな舞台で活躍している姿は、外国文化に関心を持ち続けたハーンの面影を思わせますね。

また、趣味は合唱と読書。音楽や文学といった文化に親しんでいる点も、八雲の家系らしい一面といえるでしょう。

 

小泉凡さんと達矢さんの対談の映像がありましたので、ご紹介します。

守谷天由子さん

守谷天由子さんは玄孫にあたると紹介される方です。

アートやジュエリーデザインを手がけながら、「自分が八雲の子孫である」という意識を強く持って表現活動を続けています。

ご自身のブログや発信の中では、

「28歳のときに、自分が八雲の血を引くことを改めて意識した」

と綴っており、それが創作の大きな原点になっているそうです。国際的な暮らしや経験を作品に投影している点も印象的です。

 

YouTubeでの発信もされているので、ご紹介します。

小泉セツさんとラフカディオ・ハーンの子孫として3人の方々をご紹介しましたが、おそらくこのほかにもそれぞれの道を歩んでいる子孫がいらっしゃるのでしょう。公に語られることは少なくても、八雲とセツの物語は、今もさまざまな形で受け継がれているのだと感じます。

 

以上、今回は小泉セツの家系図と子供・子孫の現在についてお伝えしました。

子どもたちの歩みは文学や芸術に広がり、現在は曾孫の小泉凡さんや玄孫の守谷天由子さんが、それぞれの形で文化を受け継いでいます。

朝ドラ「ばけばけ」とあわせて見ると、セツの家族の物語がより身近に感じられるそうですね。

 

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