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小泉八雲とセツの家系図と家族とのつながり|ばけばけ深掘り

作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、ギリシャに生まれ、アイルランドを経て日本に渡った国際的な文学者。その妻・小泉セツは、松江藩士の家に生まれ、夫の創作活動を支えながら静かに生涯を送りました。

異なる文化に育った二人の出会いは、のちに「小泉家」という新しい家族の物語を生み出します。

この記事では、小泉八雲とセツそれぞれの家系図や家族との関係をご紹介します。

 

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の家系図

小泉八雲の家系図

明治期の文豪・小泉八雲さんの『怪談』をはじめとする作品は、いまも日本と世界で読み継がれていますね。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は日本に帰化しましたが、もとはギリシャで誕生した人物。

ここでは、そんな小泉八雲さんの家系図をたどっていきましょう。

まずは小泉八雲の家系と家族をご紹介します。

 

父:チャールズ・ブッシュ・ハーン

1818年にアイルランド・ダブリンで生まれたチャールズ・ブッシュ・ハーンは、医学校を卒業後、イギリス陸軍の軍医補として任官しました。

赴任先のギリシャ・イオニア諸島で、ローザ・カシマチと出会い、情熱的な恋に落ちます。駆け落ちに近い形で結ばれた二人の間に生まれたのが、のちの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)でした。

ところがチャールズは軍務に追われ、家庭を顧みることは少なく、後にアイルランドに帰省した際には、かつての恋人と再会。

身重のローザを置き去りにしたまま、再婚を申し立て、異国へ去ってしまいます。八雲が幼い頃に最後に顔を合わせたのが7歳の時で、その後、父との関係は断絶しました。

 

母:ローザ・アントニウ・カシマチ

1823年、ギリシャ・キシリ島の名家に生まれたローザは、恵まれた環境で育ちました。イギリス軍医のチャールズと恋に落ち、息子ラフカディオを出産します。

しかし、夫の故郷アイルランドへ渡ると、慣れない気候や言語の壁に苦しみ、次第に心を病んでいきました。

出産を機に故郷へ戻され、やがて夫から婚姻無効を突きつけられるという過酷な運命をたどります。

その後、再婚したものの、ラフカディオとの母子の縁は途絶え、再会したのはわずか4歳の頃が最後でした。晩年は躁うつ病と診断され、精神病院で生涯を終えています。

 

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兄弟

兄:ジョージ・ロバート・ハーン

八雲のわずか1歳上でしたが、八雲の誕生直後に病没しました。

弟:ジェイムズ・ダニエル・ハーン

八雲より4歳年下で、母が帰郷中に生まれた異父弟です。大叔母に育てられたのち、農業を営むためにアメリカへ渡り、偶然にも八雲と同じオハイオ州に移り住みました。成長してから初めて兄弟の存在を知り、晩年には手紙のやりとりが交わされています。

 

異母姉妹と異母妹

父チャールズが再婚したアリシアとの間にも子が生まれています。

エリザベス、ポージー

異母姉妹。八雲に手紙を送ったものの、返事は届きませんでした。

ミンニー・アトキンソン

異母妹で、八雲とは交流がありました。1909年には娘を伴って来日し、墓参を果たしています。

 

大叔母:サラ・ブレナン

父方の親族で、裕福な未亡人だったサラ・ブレナンは、幼い八雲を引き取り育てました

敬虔なカトリック信者であり、厳格な教育を施しましたが、それがかえって八雲に宗教への反発を生む要因になります。

後年、投資の失敗で財を失い、八雲は学業の道を絶たれてアメリカへ渡ることになります。

 

小泉八雲の妻たち

最初の妻:アリシア(マティ)・フォリー

シンシナティで同棲し、1875年に結婚しますが、人種差別的な法律に触れ、社会的に厳しい立場に追い込まれました。2年ほどで破綻しています。

再婚相手:小泉セツ

1891年、松江出身の小泉セツと結婚。セツは口承の物語を夫に語り、それを八雲が作品としてまとめ上げました。これにより小泉八雲は「怪談文学」の名を確立します。セツは夫亡き後、四人の子を育て、小泉八雲の遺産を守り伝えました。

 

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小泉セツの家系図

小泉セツは、島根県松江市で松江藩士の家に生まれ、のちに外国人作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻となった女性です。小泉セツはどのような家系に生まれたのでしょうか?家族のつながりを中心に見ていきましょう。

 

松江藩士の家系に生まれたセツ

小泉セツ

セツは1868年、松江藩士・小泉湊と母チエの次女として生まれました。

ところが生後まもなく、子どものいなかった親戚の稲垣家に養女として迎えられます。これは、あらかじめ両家の間で「子どもが生まれたら稲垣家へ養子に入れる」という約束があったためだと伝えられています。

その後、明治の世を生き抜く中で、セツは松江で英語教師として赴任していたラフカディオ・ハーンと出会い、1891年に結婚。ハーンは日本に帰化して「小泉八雲」と名乗り、二人は文学を通して互いを支え合う人生を歩んでいきました。

 

小泉セツの家系図(実家・夫・子供)

小泉セツの家系図

では、セツの家族関係を整理してみましょう。

実家(松江藩士の家)

  • 父:小泉湊
  • 母:チエ(塩見家の出身と伝えられる)

養家(稲垣家)

  • 養父:稲垣金十郎
  • 養母:稲垣トミ

兄弟姉妹

セツは「6人兄弟」の次女として生まれたと伝えられています。ただし、長男・次男の2人は幼くして亡くなったともいわれています。

現在名前が伝わる兄弟姉妹は次の通りです:

  • 長男:小泉氏太郎
  • 姉:小泉スエ
  • 次男:小泉武松
  • 弟:小泉藤三郎(2歳年下)
  • 弟:小泉千代之助

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

子供

  • 長男:小泉一雄(かずお)(1893年生まれ、父の著作整理などに尽力)
  • 次男:稲垣巌(いわお)
  • 三男:小泉清(きよし)
  • 長女:小泉寿々子(すずこ)

子孫を含めた家系図

小泉八雲とセツの子供と子孫

孫やひ孫世代にあたる人々がおり、文化や研究活動に関わる形で小泉家の名を今に伝えています。

セツの人生は、実家から養家へ、そしてハーンとの結婚を経て、冒頭でご紹介した、多くの子どもや子孫へとつながっていきました。

⇒ 小泉八雲とセツの子孫の現在は?

 

以上、今回は小泉八雲とセツの家系図についてお伝えしました。

朝ドラばけばけではどのように描かれるのか、実話と比較しながらみていくのも楽しそうですね。

 

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