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あんぱん トピックス

やなせたかしの妻・暢さん死因と病気|最期を見送った夫婦の絆

やなせたかしさんの妻・小松暢さんは、長年にわたり夫を支え続けた存在でした。
その暢さんがどのような病気に倒れ、最期を迎えたのか、多くの方が気になるところではないでしょうか。

この記事では

  • 暢さんの死因となった病気について
  • 病気発見の経緯と治療内容
  • 最期を迎えるまでの夫婦の物語

についてお伝えします。

 

やなせたかしの妻・のぶさんの死因は乳がん

やなせたかしさんの妻・小松暢さんは、1993年(平成5年)11月22日、乳がんのため75歳で亡くなりました。

診断を受けたときには、医師からは「余命3か月」と厳しい宣告を受けています。

それでも暢さんは6年もの間、病気と向き合いながら日々を大切に過ごし、夫と共に最後まで歩み続けました。

 

 妻・のぶさん 病気はいつ発見された?

のぶさん(小松暢さん)が乳がんと診断されたのは1988年の秋のことです。

のぶさんは体調不良をきっかけに検査を受け、乳がんが判明しました。

診断とともに即入院となったのぶさん。

12月に手術を受けたものの、すでに肝臓などへの転移が見つかり、病気はかなり進行した状態でした。

やなせたかしさんは、妻・のぶさんの状態について、次のように告げられたそうです。

「お気の毒ですが、奥さまの命は長くてあと3か月です」

 

丸山ワクチンによる治療

やなせたかしさんと妻ののぶさんは、手術後は放射線治療に加え、免疫療法として知られる「丸山ワクチン」を選びました。

漫画家・里中満智子さんからの紹介でこの治療を知ったやなせたかしさんは、のぶさんとともに希望をかけて投与を続けます。

丸山ワクチンは1日おきに通院して投与され、女子医大や四谷病院で治療を受けていたことが記録に残っています。

医師の中には「効果は期待できない」とする意見もありましたが、やなせ夫妻は前向きに取り組みました。

 

体調の変化と生活

治療を始めてから、のぶさんの体調には一時的に改善が見られました。体重が回復し、顔色が良くなったと伝えられています。

「余命3か月」と宣告されながらも、その後6年間を生き抜いたのは、こうした治療と強い意志が支えになっていたからかもしれません。

 

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やなせたかしさんと妻・暢さんの最後の年月

丸山ワクチンの接種を続けて1か月ほどすると、のぶさんは歩けるようになるほど回復しました。血色も良くなり、体重も50キロまで増えたといいます。

やなせたかしさんは1990年には日本漫画家協会大賞を受賞、1991年には、勲四等瑞宝章を受章しました。

体調の悪化

1991年(平成3年)、勲四等瑞宝章を受章したやなせたかしさんは、

大勢の知人たちに祝福され、やなせさんはそのお礼として「アンパンマンの勲章を観る会」と銘打ったパーティーを赤坂プリンスホテルで開催します。

自ら企画したショー仕立ての会は大盛況。もともとパーティー嫌いだった暢さんも、このときばかりは「こんなに楽しいなら友だちも招待したかった」と笑顔を見せました。

それを聞いたやなせさんは「次に開くときは、暢さんの友人もみんな呼ぼう」と約束します。

しかし、その頃から暢さんの体調は再び悪化し始めていました。

暢さんはそれまで丸山ワクチンを1日おきに投与していましたが、全身にがんが転移している事実を知らされていなかったため、体調が良くなったことを理由に投与を中止してしまいます。

しばらくの間、やなせさんもそれを知らず、後に気づいて投与再開をすすめても、暢さんは首を縦には振りませんでした。

 

「アンパンマン20周年の未来を祝う会」

1993年(平成5年)7月、やなせさんは約束どおり「アンパンマン20周年の未来を祝う会」を開きました。

暢さんも心待ちにしていましたが、開催直前に容態が悪化。車椅子なしでは出席が難しい状態になってしまいます。

「人前で車椅子姿を見せたくない」という暢さんの気持ちを尊重し、結局会には出席せず、暢さん不在のまま祝宴は行われました。

そのわずか4か月後、11月13日に暢さんの容態が急変。東京女子医大病院に緊急入院します。

やなせさんは毎日病院に足を運びました。丸山ワクチンも再開され、顔色がやや良くなることもありましたが、医師からは「回復は難しい」と告げられていました。

 

暢さんの最期

入院から8日が経った11月21日。

その日、暢さんは不思議なほど元気で、病室で偶然テレビに映ったやなせさんの姿を見つけて大喜びしました。

夜にやなせさんが病室を訪ねると、むしろやなせさんが心配になるほどよく話し続けたといいます。

ところが翌朝、暢さんは突然意識を失いました。

そしてその日の午後4時、やなせさんに手を握られながら静かに息を引き取ります。享年75歳でした。

医師から「余命3か月」と告げられてから、暢さんは実に6年もの時を生き抜きました。

両親や弟、叔父叔母の最期を看取ることができなかったやなせさんにとって、最愛の妻をその手で見送れたことは、深い悲しみの中にも大きな意味を持つ出来事だったのです。


以上、今回は やなせたかしさんの妻・小松暢さんの死因や病気、そして最期のエピソード についてお伝えしました。

夫婦の深い絆と、支え合いながら生き抜いた姿は、NHK朝ドラ『あんぱん』の物語とも重なり、多くの人の心に響くものがありますね。

 

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