戦国時代を代表する武将・藤堂高虎。
築城の名人として知られ、主君を7度も変えたことで有名なこの人物の血筋は、現代にまで続いているのでしょうか。
- 「藤堂高虎の子孫って今もいるの?」
- 「お笑い芸人のゆってぃって、本当に子孫?」
そんな疑問を持つ方のために、家系図をもとに高虎から現代の当主まで、わかりやすく解説します。
藤堂高虎の子孫は現在も続いている?
まず気になるのは「現代に続く子孫がいるのか」という点。結論から言えば、藤堂家は現在も続いており、著名な末裔も各界に存在しています。
現在の15代当主・藤堂高正さんとは
結論からお伝えします。
藤堂高虎の子孫は、現在もしっかりと続いています。
現在の藤堂家当主は、第15代・藤堂高正さん。 令和の時代においても、藤堂家の名跡はきちんと受け継がれています。
ただし、ひとつ注目したいポイントがあります。
高正さんは、藤堂高虎の「直系」の子孫ではありません。支藩である久居藩(伊勢国)の血筋を引く方です。
え、それって本当に子孫といえるの?と思う方もいるかもしれません。 でも、これには深い事情があります。
直系が5代で途絶えた理由
藤堂高虎の直系子孫が家督を継いだのは、じつは5代・高敏までです。
なぜそこで途絶えてしまったのか。
高虎の没後、家督を継いだのは長男の高次でした。 その次は高次の子・高久が継ぎます。 ところが高久には実子がいなかったため、弟の高睦へと家督を譲りました。 しかしこの高睦にも実子がいなかったのです。
そこで支藩である久居藩から、高次の孫にあたる高敏を迎えて家督を継がせます。 この5代・高敏が、高虎の直系として家督を継いだ最後の当主となりました。
その後も藤堂家は支藩や遠縁から養子を迎え続け、血脈をつないできました。
江戸時代を通じて藤堂家は津藩(現在の三重県津市)を治め、幕末まで大名家として存続します。 実子に恵まれない当主が続いても、家が断絶しなかった。 それは養子という制度を柔軟に活用し、家の存続を最優先にしてきたからこそです。
ボートレーサー・藤堂里香さんも子孫のひとり
藤堂高虎の末裔は、現代においても各分野で活躍しています。
そのひとりが、福井県大野市出身のボートレーサー・藤堂里香さんです。
里香さんは藤堂高虎の末裔として知られており、2007年に三国競艇場でデビュー。
長らく優勝に縁がありませんでしたが、2016年3月に若松競艇場で開催された男女W戦でついに初優勝を飾りました。
その際、優勝賞金の一部(10万円)を地元・大野市に寄付したエピソードも話題になりました。
約400年の時を超えて、藤堂の名を持つ人々が現代社会で活躍している。 それはなんとも感慨深いことではないでしょうか。
ゆってぃは藤堂高虎の子孫
意外に思う方も多いかもしれませんが、人気お笑い芸人のゆってぃさんと藤堂高虎には、無視できないつながりがあります。
ゆってぃの本名「藤堂雄太」が示すルーツ
「ワカチコ!ワカチコ!」でおなじみのお笑い芸人・ゆってぃさん。
じつはこの方、藤堂高虎の末裔として知られています。
ゆってぃさんの本名は藤堂雄太。とーどーゆーた名義でも活動していた時期があります。
苗字をそのまま読めば「とうどう」。 藤堂高虎と同じ「藤堂」の字を持つことは、ただの偶然ではないかもしれません。
芸人として全国的に名を知られるゆってぃさんが、戦国の名将の血を引いているとしたら—— そう思うだけで、歴史がグッと身近に感じられますね。
本人ブログで公表
ゆってぃさんは、自身のブログやYouTubeなどで藤堂高虎の子孫であることを公表しています。
公式ブログには「先祖と対面」という内容の記事が投稿されており、過去から続く命のつながりに感謝する気持ちが綴られていたといいます。
芸能人が自ら語るルーツとして、これはかなり信ぴょう性の高い情報といえるでしょう。
直系か傍系か
ただし、ひとつ正確に押さえておきたい点があります。
ゆってぃさんが藤堂高虎の「直系」子孫であるかどうかは、現時点では確認されていません。
藤堂という苗字を持ち、本人も末裔であると語っている。 この事実は確かです。
一方で、数百年の歴史の中で藤堂姓を持つ人々は全国に広がっています。 直系か、あるいは遠縁の傍系かという厳密な系譜は、現時点では不明なのです。
それでも「藤堂高虎の末裔」という表現は、広い意味では成立します。 血のつながりの濃淡はあれど、同じ藤堂の名を受け継いでいることに変わりはありません。
歴史的なロマンとして楽しむ——そんなスタンスで見るのが、いちばん自然かもしれませんね。
藤堂高虎の家系図と家族構成
藤堂高虎の血筋がどのようにつながってきたのか、家族構成と家系の流れを順番に整理していきましょう。
正室・側室・養子——高虎の子ども3男6女の全貌と家族構成
では、そもそも藤堂高虎にはどんな家族がいたのでしょうか。
家系図を理解するうえで、まず高虎自身の家族構成を整理しておきます。
高虎の正室は久芳院(一色義直の娘)。 二人の仲はたいへん良く、高虎は愛妻家として知られています。
しかし久芳院との間には子宝に恵まれませんでした。
周囲から側室を勧められても、高虎はなかなか首を縦に振りませんでした。 それほど久芳院への愛情が深かったのです。
やがて久芳院自身が「家のために側室を」と夫に勧めます。 この妻の献身的な姿勢もまた、高虎が愛妻家であった証といえるでしょう。
1599年、高虎は友人の勧めにより松寿院(まつ)を側室として迎えます。
まつとの間には2男1女が生まれました。 長男が藤堂高次(のちに宗家の跡継ぎ)、次男が藤堂高重、そして長女が一人。
別の側室との間にも女子が3人生まれています。
さらに養子として、丹羽長秀の三男・藤堂高吉(男子1人)と女子2人を迎えており、合計で3男6女・計9人の子がいました。
これが藤堂家の出発点となる家族構成です。
家系図で見る直系から支藩への流れ
高虎の子どもたちの中で、宗家(伊勢津藩)の跡継ぎとなったのは長男の高次です。
高次のあとは子の高久が継ぎ、そこから弟の高睦へ。 しかし高睦にも実子がなく、支藩・久居藩の高敏(高次の孫)が本家を継ぐことになります。
ここで高虎の直系は途絶えますが、藤堂家としての歴史は続きます。
6代目以降は、高虎の弟・高清の子孫や久居藩の血筋から養子を迎えながら家督を継承。 江戸時代を通じて、藤堂家は津藩の大名家として存続し続けました。
なお、養子・高吉の系統は名張藤堂家として独立した家系を形成します。 ところが宗家と名張藤堂家の間には長い確執がありました。
高虎の死後、跡を継いだ高次は高吉の存在を警戒。 高吉は伊賀国名張に所領を与えられましたが、本家から独立した大名にさせまいとする高次の意向が働いたともいわれています。
その対立は、なんと徳川吉宗の時代まで続いたといいます。 名張藤堂家が、藤堂家の通字である「高」を使わず「長」を用い続けたのも、この確執の影響でした。
明治以降、華族・伯爵家としての藤堂家のあゆみ
幕末、藤堂家は重大な局面を迎えます。
鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)では、当時の当主・藤堂高猷(たかゆき)が当初は幕府方として参戦しました。 しかし途中で新政府(官軍)方に寝返ります。
この行動、どこかで聞いたことがありませんか?
そうです。主君を7度変えた藤堂高虎の生き方そのものです。当時の人々からも「藩祖の血は争えない」と皮肉を込めて語られたという逸話が残っています。
ちゃんと家風まで受け継いでいる——と苦笑いしたくなるエピソードですね。
明治維新後、藤堂家は華族制度のもとで伯爵家に列せられました。 1884年(明治17年)のことです。
こうして武家から華族へと変わりながら、藤堂家は近代日本においてもその地位を保ちました。 そして現在の第15代当主・藤堂高正さんへと、その歴史は続いています。
藤堂高虎はどんな武将?
子孫や家系図を理解するうえで、そもそも藤堂高虎がどんな人物だったかを知っておくと、歴史がより深く楽しめます。
"主君7度変え"のリアリスト
高虎は1556年、滋賀県東部・甲良町あたりにあたる藤堂村で生まれました。
戦国時代を生き抜いた武将として、いくつかの顔を持っています。
まず、築城の名人として知られています。 黒田官兵衛(孝高)や加藤清正とともに「築城の三名人」と称されるほどの腕前。
宇和島城・今治城・津城・伊賀上野城など、数多くの名城を手がけました。
そしてもうひとつの顔が、"主君7度変え"のリアリストという側面です。
浅井氏・阿閉氏・磯野氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏と、次々と主君を変えた高虎。 「変節漢」と批判されることも少なくありません。
しかし見方を変えれば、時代の流れを読む卓越した眼力と、生き残るための合理的な判断力の持ち主ともいえます。 外様大名でありながら、徳川家康から譜代大名並みの信頼を得たのがその証拠です。
正室・久芳院への深い愛情と家族構成
武骨な戦国武将のイメージとは裏腹に、高虎には穏やかな一面もありました。
それが、正室・久芳院への深い愛情です。
子宝に恵まれなくても側室を迎えようとしなかった高虎。 愛妻家ぶりは当時から有名で、久芳院が自ら「側室を」と勧めるまで、頑として首を縦に振らなかったといいます。
戦場では冷静沈着なリアリストでも、家庭では妻を心から大切にした人——。
そんな人間的な側面を知ると、藤堂高虎という武将がより立体的に見えてきます。
子孫たちが今日まで受け継いでいるのは、城を築く技術だけではないのかもしれません。
その人柄や生き様もまた、脈々と受け継がれているのではないでしょうか。
まとめ:藤堂高虎の子孫と家系図
ここまで読んでいただいた内容を、ポイントごとに整理してお伝えします。
藤堂高虎の子孫まとめ
- 高虎の子どもは3男6女(実子6人+養子3人)
- 宗家の家督は長男・高次が継承
- 直系子孫が家督を継いだのは5代・高敏まで
- 以降は支藩・久居藩などから養子を迎えて存続
- 現在の当主は第15代・藤堂高正さん(久居藩の系統)
- お笑い芸人・ゆってぃ(本名:藤堂雄太)も末裔と本人が公表
- ボートレーサー・藤堂里香さんも末裔として知られる
約400年前の戦国武将の血が、形を変えながらも現代へと受け継がれている。
その事実は、歴史の重みとともに、なんとも不思議な感動を与えてくれます。
こちらもCHECK