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佐野政言(まさこと)はなぜ田沼意知を斬った?世直し大明神と呼ばれた理由|べらぼう深掘り

2025年の大河ドラマ『べらぼう』第27話では、佐野政言と田沼家の関係に注目が集まります。

のちに「世直し大明神」と呼ばれる佐野政言は、なぜ田沼意知に刃を向けたのでしょうか?その背景には、父との確執や、田沼家との複雑な因縁がありました。

今回は、

  •  佐野政言とはどんな人物なのか
  • なぜ田沼意知を斬ったのか?
  • “世直し大明神”と呼ばれるようになった理由とは?
  • べらぼうで佐野政言役の矢本悠馬さんの見どころ

をわかりやすく解説します。

 

佐野政言とは?

べらぼう佐野政言

佐野政言(さの・まさこと、1757–1784)は、江戸時代中期に生きた旗本で、「善左衛門」の名で知られています。

父・佐野政豊の跡を継ぎ、わずか17歳で家督を相続。将軍直属の警護役に就くなど順調な道を歩みましたが、29歳という若さで衝撃的な事件を起こし、自ら命を絶つという悲劇的な最期を迎えました。

武士としての経歴と背景

佐野家は、徳川家に仕える譜代の家柄で、代々「番士」として江戸城の警備を任されてきた由緒ある旗本です。

政言も例に漏れず、1777年には大番士、翌年には新番士という、いずれも将軍直属の五番方に所属する役職に任命されます。これは徳川家治の側近としても重要な役割で、政言が将来を嘱望されていたことがうかがえます。

一方で、佐野政言の知行は500石とそれほど多くはなく、格式の高さに見合った生活を維持するには経済的に厳しい面もありました。このような身分と収入のギャップが、次第に政言の心を蝕んでいった可能性も考えられます。

 

父・政豊との関係と内面の葛藤

佐野政言の父である政豊(1713–1787)も番士を務めた人物で、1773年に隠居して政言に家督を譲っています。

政言は一人息子として家を継ぎ、父と同居する日々を送っていました。形式的には順調な継承でしたが、「立派な跡取りとしての責任」に加え、年老いた父の世話や介護が必要となる生活には、若き旗本としての葛藤もあったと見られます。

大河ドラマ『べらぼう』の劇中では、認知機能の低下が見られる父の描写や、政言に対して辛く当たる場面が描かれていますね。

そのたびに政言は、町へ出かけるたびに「父を一人にした」という後ろめたさを抱えていた様子で、精神的な重圧がにじみ出ています。史料に具体的な記録は残されていませんが、政言が家を背負いながらも、複雑な家庭状況のなかで苦しんでいた姿が想像されます。

 

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佐野政言はなぜ田沼意知を斬った?

さて、江戸時代中期に起きた佐野政言と田沼意知の刃傷事件は、幕政を揺るがす出来事として今も語り継がれています。

佐野政言と田沼意知の刃傷事件

事件が起きたのは1784年(天明4年)3月24日。

江戸城内において、佐野政言が若年寄の田沼意知を突如襲撃しました。

意知は田沼意次の嫡男で、将軍側近として重用されていた人物です。

政言は突然刀を抜くと、「覚えがあろう」と叫びながら斬りかかり、意知の肩や手、腹部、足にかけて深い傷を負わせました。意知は即座に倒れ、逃げ場を失ったまま重傷を負い、8日後に傷がもとで亡くなっています。

政言はその場で取り押さえられ、10日後の4月3日に切腹を命じられました

享年27。若くしてその生涯に幕を下ろしました。

理由は謎?

この事件の背後には、田沼意知の昇進が「親の威光によるもの」と評されるなど、田沼家への反感や不満が高まっていたという時代の空気があります。

幕府は公式には「政言の狂乱による犯行」と位置づけましたが、私的な恨み、政敵による陰謀説、または田沼家の汚職への怒りといった複数の見解が存在し、はっきりとした動機は明らかになっていません。

ただ、この一件がきっかけとなり、田沼意次の権勢は一気に傾き、2年後の1786年には松平定信による寛政の改革へと流れが変わっていくのです。歴史の転換点となった事件でした。

 

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べらぼうにも伏線があった!佐野政言の田沼家への怨念

大河ドラマべらぼうにおいても、佐野政言は序盤から登場していました。どんな伏線が張られていたのか、佐野政言の登場話ごとに内容をおさらいしてみましょう。

第6話:佐野政言が田沼意知に家系図を渡す

べらぼう第6話では、佐野政言が家系図を携えて田沼屋敷を訪問。旧知の田沼意知に「佐野家の家来だった田沼家の出自を正したい」と願い出ます、家系図を介して“由緒ある自分”を示し、立身出世への糸口を狙う政言の焦りが表情や所作から伝わってきました。

しかし、その申し出は軽んじられます。しかも、意知から家系図を手渡された意次は、その家系図を池の中に放り込んでしまうのです。

当時の旗本たちは収入が限られ、生活は厳しかった背景があります。政言もその例外ではなく、役職を得るために取り入りを図ったと見ることができます 。政言の必死さは、家系図をめぐるエピソードに刻まれ、後の怒りや悲劇への芽吹きとなっています。

第17話:佐野氏の家系図はどうなった?

べらぼう第17話では、佐野政言が意知に「系図はお使いになられましたか」と尋ねるシーンが描かれました。しかし、すでに系図は池の中。意知が焦ってごまかしました。

その後、佐野政言の父・政豊は咲かぬ桜を見て政言を責め、政言は無言で父を見つめる場面が描かれます 。この桜は、佐野家の誇りであり、期待に応えられない政言の苦悩と、父への焦燥感の象徴として繰り返し画面に映ります。

第23話:宴席で見えた佐野政言の居心地の悪さ

べらぼう第23話は、土山宗次郎主催の豪華な狂歌や宴会の席で、平蔵とともに現れた佐野政言が描かれます。

平蔵は積極的に溶け込むのに対し、政言は明らかに場に馴染めず、途中で退席する様子も。この場面では、政言の“居場所のなさ”や焦燥感が浮き彫りになり、佐野政言の孤立が象徴的に示されました。

また、佐野家の庭にある「桜」が今年も咲かず、父・政豊が「佐野の桜はいつ咲くのか」と追及。政言は言い訳もできず戸惑いを見せます 。

第27話:雁と桜

べらぼう第27話では、佐野政言の内に秘めた思いが、じわじわと膨らんでいく様子が印象的に描かれています。特に重要なのが、雁と桜にまつわるふたつの出来事です。

(※ネタバレあり クリックして読む)

 

ひとつは、鷹狩りでの一件。政言は見事に雁を仕留めたと信じていましたが、獲物は見つからず、まわりからは嘘つき呼ばわりされ、名誉を傷つけられてしまいます。ところが後日、得体の知れない武士が雁を持参し、「田沼意知が隠した」と吹き込むのです。政言は最初こそ意知を信じようとしますが、疑念は心の奥底にしこりとして残ります。

もうひとつ象徴的なのが、佐野家の庭に立つ一本の桜。長らく花を咲かせず、父・政豊はその原因を政言に押しつけて苛立ちます。

対照的に、かつて政言が田沼家に贈った桜の苗は、意次の手によって神社に奉納され、満開の花を咲かせ「田沼の桜」として持てはやされていました。

自分の善意が田沼の名声にすり替えられたことに、政言は深い屈辱を覚えます。

 

この二つの出来事が、政言の心を静かに、しかし確実に蝕んでいきます。恨みの火種は、ここで確かに灯ったのです。

べらぼうにおいても、謎めいてますよね。第三者の介入があって、こちらもあの方の仕業なのか…?という疑問が湧いてきますね。

 

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佐野政言が“世直し大明神”と呼ばれた理由とは?

NHK大河ドラマ『べらぼう』での印象深い描写もさることながら、佐野政言が「世直し大明神」とまで称されるようになった背景には、江戸時代後期の社会情勢と庶民の感情が深く関わっています。

ここでは、その経緯を史実ベースでわかりやすく紐解いていきます。

民衆が佐野政言をヒーロー視した理由

1784年(天明4年)、佐野政言が田沼意次の嫡男・意知を江戸城内で斬りつけた事件は、幕府の見解では「乱心」として片付けられました。

しかし、当時の市中では田沼家による商業推進策が弊害を生み、贈収賄の横行や物価高騰により、庶民の間で強い不満が蓄積していたのです。

そんな中で起きた刃傷事件は、「政言が民の怒りを代弁した」との見方で受け止められ、佐野政言の行動は反権力の象徴として語られるようになります。

加えて、事件後に米の値が急落したことも、「政言の祟りでは」と噂されるほどで、いつしか彼は「佐野大明神」「世直し大明神」と崇められる存在になっていきました。

さらに、佐野政言の墓がある浅草の徳本寺には多くの参詣者が訪れ、香を手向け、のぼりを立てて祀るなど、まるで神社のような扱いを受けたとも伝わります。政言が使った脇差に神聖な価値がつき、「御神剣」と呼ばれたという逸話まで残されています。

 

現代に残る伝説と“神”としての記憶

また、当時の浮世絵や狂歌でも佐野政言の名はたびたび登場し、その姿は「庶民のために剣を抜いた正義の旗本」として描かれています。

祠が建てられたという明確な記録はないものの、人々のあいだでは自然発生的に“祀る文化”が生まれたことは、当時の風俗や文献からも確認できます。

『べらぼう』では、この“世直し大明神”伝説がどのように描かれるのか――江戸の民衆が抱いた怒りと希望の象徴として、ドラマでも重要な軸になっていきそうです。

 

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べらぼう佐野政言役は矢本悠馬

べらぼうキャスト矢本悠馬

NHK大河ドラマ『べらぼう』で、佐野政言を演じているのは俳優・矢本悠馬さん

愛嬌のある表情と確かな演技力で、これまで多くの作品に出演してきた矢本さんですが、『べらぼう』ではこれまでとはひと味違う、静かな存在感で視聴者の記憶に残る役柄に挑んでいます。

矢本悠馬さんのプロフィールと主な出演作

矢本悠馬さんは1990年生まれ、京都府出身。

映画『ちはやふる』シリーズや、NHKの朝ドラ『花子とアン』『半分、青い。』などでおなじみの俳優です。

明るくテンポの良いキャラクターを演じることが多い一方で、近年は内面の葛藤を丁寧に表現する繊細な役柄にも定評があります。

今回の佐野政言は、正義感が強く、信念を貫く男。

表には出さずとも、内に秘めた怒りや理不尽さへの疑問を抱えて生きている人物であり、矢本さんの新たな魅力が光る配役となっています。

「怒りを抱える静かな男」を演じる存在感

べらぼう第17話で初登場して以降、佐野政言は言葉少なに重三郎を見守る姿が印象的でした。

派手なセリフや動きは少ないものの、視線や沈黙、たたずまいそのものが物語を語っているような演技が続きます。

たとえば、上野の桜の下で雁と話すシーンでは、かつての自分と田沼家との因縁がほのめかされ、政言の過去や心の中に触れるような演出がなされています。

矢本さんはその微妙な感情の揺れを、決して説明的ではなく、ほんの表情の変化だけで表現。セリフ以上に語る「沈黙」が、観る者に余韻を残します。

また、重三郎との対話でも、身分の違いを超えた敬意や共感がにじみ出ており、政言の人柄や複雑な立場が感じられました。矢本さんの演技には、表現しすぎず、語りすぎないからこその深みがありますね。

第26話までの佐野政言は、まだ「動く」人物ではなく、「何かを抱えている」存在として描かれています。ですが、その静けさの中に漂う緊張感は、矢本さんの抑えた演技によって生まれていると言えるでしょう。

 

以上、今回は「佐野政言はなぜ田沼意知を斬ったのか」についてお伝えしました。

田沼意知を襲撃した佐野政言は、単なる加害者ではなく、当時の身分制度や政治への不満を背負った象徴的な人物でもあります。

『べらぼう』では、矢本悠馬さんがその葛藤や人間味を丁寧に演じており、佐野政言がなぜ“世直し大明神”と呼ばれるようになったのか、その背景がより深く伝わってきます。今後の描かれ方や衝撃の展開にも期待できそうですね。

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